存在感ある盛岡の望楼、紺屋町番屋 [火の見櫓(岩手県)]
盛岡市、紺屋町の番屋。
大正2(1913)年完成の望楼付消防番屋です。
洋風木造建築の2階建てで、望楼は6角形のようです。
昭和52年には盛岡市の保存建造物の指定を受け、
老朽化しながらも現在まで保全が図られています。
おそらくは老朽化を理由に解体され、新しい消防詰所などへの
建て替えが検討されたりしたであろうとも推測できるのですが、
すぐ近所に真新しいコミュニティ消防センターが建っているのを見ると、
この番屋は歴史的建造物としてしっかり保存する方向で
きっと調整がついたのでしょうね。
望楼の尖端、避雷針のデザインが可愛いです。
望楼の外に吊るされている半鐘がいい感じ。
標識や付属品がいい味を出しています。
窓ガラスの一部はまだ手漉きガラスが使われていて、
時代を感じさせてくれます。
いちおう、ホース干し塔が隣接。
市街中心部を流れる中津川のすぐ近くにあり、
橋を渡ると県庁や市役所、盛岡城などといった市の中枢が至近で、
いわば盛岡の一等地に建っている状況。
そんな歴史的木造建造物にとってある意味厳しい環境のなか、
今後も可能な限り長生きして欲しいと思います。
今夏の北東北取材ツアー、岩手県内の記事はこれで終了です。
次回からはいよいよ青森県に突入します。
っていうか、まだツアー全体の3分の1しか記事に出来ていない(-_-+
先はまだまだ長い。。。
(撮影日:2013年8月14日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
大正2(1913)年完成の望楼付消防番屋です。
洋風木造建築の2階建てで、望楼は6角形のようです。
昭和52年には盛岡市の保存建造物の指定を受け、
老朽化しながらも現在まで保全が図られています。
おそらくは老朽化を理由に解体され、新しい消防詰所などへの
建て替えが検討されたりしたであろうとも推測できるのですが、
すぐ近所に真新しいコミュニティ消防センターが建っているのを見ると、
この番屋は歴史的建造物としてしっかり保存する方向で
きっと調整がついたのでしょうね。
望楼の尖端、避雷針のデザインが可愛いです。
望楼の外に吊るされている半鐘がいい感じ。
標識や付属品がいい味を出しています。
窓ガラスの一部はまだ手漉きガラスが使われていて、
時代を感じさせてくれます。
いちおう、ホース干し塔が隣接。
市街中心部を流れる中津川のすぐ近くにあり、
橋を渡ると県庁や市役所、盛岡城などといった市の中枢が至近で、
いわば盛岡の一等地に建っている状況。
そんな歴史的木造建造物にとってある意味厳しい環境のなか、
今後も可能な限り長生きして欲しいと思います。
今夏の北東北取材ツアー、岩手県内の記事はこれで終了です。
次回からはいよいよ青森県に突入します。
っていうか、まだツアー全体の3分の1しか記事に出来ていない(-_-+
先はまだまだ長い。。。
(撮影日:2013年8月14日)
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遠野スタイルの火の見櫓 [火の見櫓(岩手県)]
今夏の北東北取材ツアーで巡ったコースは
岩手の陸前高田市から大船渡市、釜石市、そして遠野市。
盛岡で一泊して一箇所だけ神社訪問をしたあと、青森県に移動。
青森では弘前市を中心に津軽地方南部を取材して廻りました。
狛犬も、そして火の見櫓もそれぞれ個性的な子達に出会いましたが、
火の見櫓はやはり地域によって統一されたデザインというか、
その地方でよく見かけるスタイルというものが見られて興味深いです。
そんななか、遠野市では“その地方でよく見かける”なんて次元を超えて、
市内全域で瓜二つといってもいいほどそっくりな火の見櫓の集団に
遭遇することとなりまして。
まずこちら、
前エントリー記事の日出神社から程近い場所に立っていた火の見櫓。
細越地区コミュニティ消防センターに隣接しており、
のどかな田園風景のなかに延びる一本の直線道路の向こうに見え、
背丈がそこそこあって、けっこう目立つ存在でした。
特徴的な外観のセンターは、普段は地域住民の防災と福祉のための
コミュニティーセンターとして存在しているとのことで、3.11以降は
震災復旧のための前線基地として活躍してきたそうです。
(詳しくないですが、消防屯所と公民館を合わせたようなものなんでしょうかね。)
火の見櫓のほうは、これが遠野スタイルとでもいうべきものなのか、
コンクリート柱×三本脚で、踊り場が無くて見張り台まで梯子が一直線。
スピーカーが四方に向かって賑やかに付属しています。
同タイプはこの細越地区の櫓がファーストコンタクトだったわけですが、
この子と初遭遇した時点では、まさかこのあと体験することなど
想像だにしておらず。。。
次に出会った火の見櫓。
平野原地区コミュニティ消防センター。
まだこの時点では「へえ、さっきのと同じ。この界隈はこの手のが多いのかな?」
くらいにしか考えておらず。
そして、、、3基目。
平倉地区コミュニティ消防センター。
同じく、コンクリート柱の3本脚。
消防センターの建物も、外観のデザインがそっくり。。。
4基目。
来内地区コミュニティ消防センター。
5基目。
板沢地区コミュニティ消防センター。
6基目。
暮坪地区コミュニティ消防センター。
7基目&8基目。
中沢地区&善応寺地区の両コミュニティ消防センター。
9基目。
穀町地区コミュニティ消防センター。
ここは中心市街地の一角になりますが、
やはり立っていた櫓、そしてコミュニティセンターの建物ともに
遠野スタイルそのもの。
そして、10基目。
本宿地区の両コミュニティ消防センター。
以上、写真撮影したのはこれだけですが、
市内各所でほかにもたくさんの“兄弟”火の見櫓を目にしました。
最初のうちは珍しさも手伝って、わざわざ車を止めて撮影したわけですが、
そのうちだんだん珍しさも消えてしまい、しまいには目に飛び込んできても
わざわざ遠野までやって来ているのに、そのままスルーしてしまうという。。。
地域性豊かな火の見櫓でも、これだけしつこいと食傷してしまう好例(?)ですね(^^)
とはいえ、信州安曇野に暮らす火の見ヤグラーとしては、
珍しい子達に出会うことができてよかったです。
ちなみに半鐘は撮影して画像に納めたもののなかでは
初めに出会った細越のものに付属しているのみで、
その他の櫓にはすでに存在していませんでした。
その点がやはり少し寂しかったですね。
(撮影日:2013年8月13日)
(↓は細越地区の場所を代表でピックアップ)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
岩手の陸前高田市から大船渡市、釜石市、そして遠野市。
盛岡で一泊して一箇所だけ神社訪問をしたあと、青森県に移動。
青森では弘前市を中心に津軽地方南部を取材して廻りました。
狛犬も、そして火の見櫓もそれぞれ個性的な子達に出会いましたが、
火の見櫓はやはり地域によって統一されたデザインというか、
その地方でよく見かけるスタイルというものが見られて興味深いです。
そんななか、遠野市では“その地方でよく見かける”なんて次元を超えて、
市内全域で瓜二つといってもいいほどそっくりな火の見櫓の集団に
遭遇することとなりまして。
まずこちら、
前エントリー記事の日出神社から程近い場所に立っていた火の見櫓。
細越地区コミュニティ消防センターに隣接しており、
のどかな田園風景のなかに延びる一本の直線道路の向こうに見え、
背丈がそこそこあって、けっこう目立つ存在でした。
特徴的な外観のセンターは、普段は地域住民の防災と福祉のための
コミュニティーセンターとして存在しているとのことで、3.11以降は
震災復旧のための前線基地として活躍してきたそうです。
(詳しくないですが、消防屯所と公民館を合わせたようなものなんでしょうかね。)
火の見櫓のほうは、これが遠野スタイルとでもいうべきものなのか、
コンクリート柱×三本脚で、踊り場が無くて見張り台まで梯子が一直線。
スピーカーが四方に向かって賑やかに付属しています。
同タイプはこの細越地区の櫓がファーストコンタクトだったわけですが、
この子と初遭遇した時点では、まさかこのあと体験することなど
想像だにしておらず。。。
次に出会った火の見櫓。
平野原地区コミュニティ消防センター。
まだこの時点では「へえ、さっきのと同じ。この界隈はこの手のが多いのかな?」
くらいにしか考えておらず。
そして、、、3基目。
平倉地区コミュニティ消防センター。
同じく、コンクリート柱の3本脚。
消防センターの建物も、外観のデザインがそっくり。。。
4基目。
来内地区コミュニティ消防センター。
5基目。
板沢地区コミュニティ消防センター。
6基目。
暮坪地区コミュニティ消防センター。
7基目&8基目。
中沢地区&善応寺地区の両コミュニティ消防センター。
9基目。
穀町地区コミュニティ消防センター。
ここは中心市街地の一角になりますが、
やはり立っていた櫓、そしてコミュニティセンターの建物ともに
遠野スタイルそのもの。
そして、10基目。
本宿地区の両コミュニティ消防センター。
以上、写真撮影したのはこれだけですが、
市内各所でほかにもたくさんの“兄弟”火の見櫓を目にしました。
最初のうちは珍しさも手伝って、わざわざ車を止めて撮影したわけですが、
そのうちだんだん珍しさも消えてしまい、しまいには目に飛び込んできても
わざわざ遠野までやって来ているのに、そのままスルーしてしまうという。。。
地域性豊かな火の見櫓でも、これだけしつこいと食傷してしまう好例(?)ですね(^^)
とはいえ、信州安曇野に暮らす火の見ヤグラーとしては、
珍しい子達に出会うことができてよかったです。
ちなみに半鐘は撮影して画像に納めたもののなかでは
初めに出会った細越のものに付属しているのみで、
その他の櫓にはすでに存在していませんでした。
その点がやはり少し寂しかったですね。
(撮影日:2013年8月13日)
(↓は細越地区の場所を代表でピックアップ)
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津波警報塔か? [火の見櫓(岩手県)]
大船渡市赤崎町の津波警報塔?
赤崎小学校のあった場所より程近い高台に立っています。
高台といっても山麓からは独立した台地のような場所で、
櫓の周辺にはお堂その他建物が建っているのですが、
大船渡市の津波被災地図をあてるとこちらも浸水範囲内になっています。
標高がいくらかあるということで、波の深度が浅くなって
助かった部分もあるのかもしれません。
櫓自体は火の見で括るにはちょっと厳しいデザイン。
半鐘は立派なものが付いているのですが、
梯子の途中にあるため、打鐘は梯子に張り付いたままの姿勢になります。
見張り台に該当する部分は人が立って歩けるほども高さがなさそうで、
中心には防災サイレンの装置が固定されています。
やはり当初よりサイレンなどを中心にした津波警報塔であったとみるのが
自然かなという気がします。
錆がきついのは、やはり海に近いからでしょうかね。
(撮影日:2013年8月13日)
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赤崎小学校のあった場所より程近い高台に立っています。
高台といっても山麓からは独立した台地のような場所で、
櫓の周辺にはお堂その他建物が建っているのですが、
大船渡市の津波被災地図をあてるとこちらも浸水範囲内になっています。
標高がいくらかあるということで、波の深度が浅くなって
助かった部分もあるのかもしれません。
櫓自体は火の見で括るにはちょっと厳しいデザイン。
半鐘は立派なものが付いているのですが、
梯子の途中にあるため、打鐘は梯子に張り付いたままの姿勢になります。
見張り台に該当する部分は人が立って歩けるほども高さがなさそうで、
中心には防災サイレンの装置が固定されています。
やはり当初よりサイレンなどを中心にした津波警報塔であったとみるのが
自然かなという気がします。
錆がきついのは、やはり海に近いからでしょうかね。
(撮影日:2013年8月13日)
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高台に立つ津波警報塔 [火の見櫓(岩手県)]
大船渡市大船渡町笹崎、津波警報塔。
火の見櫓の代用とか、役場庁舎や消防署の屋上にあるのとかではなく、
正真正銘、それとして設置された専用の警報塔です。
市街の一角、高台にある加茂神社の境内に立っていて、
狛犬とのコラボする姿を見ることが出来ます。
岡崎現代型の狛犬もまた海の方向に視線を向けています。
3.11をこの場にいてじっと見つめ続けていたのでしょう。
この津波警報塔は昭和35年に発生したチリ地震大津波を受けて建立されたもので、
津波での犠牲者53名、被災家屋1480棟、損害額約80億円という被災状況を踏まえ、
一周年の昭和36年5月24日に建立されたものです。
足元にある碑文には、
「その惨禍を想起し 今後における不測の事態に備えるため
全国よりの義援金の一部をもって津波警報塔を建てる
誓ってかかる災いを繰り返すまじとの祈りをこめて」
とありました。
高台から見下ろす町のいま。
そしてすっかり野原のような状態の海岸近くの市街地へ下りて、
津波警報塔のあるほうを見返してみました。
きっとあの日も、サイレンがけたたましく鳴り響いていたことでしょう。
(撮影日:2013年8月13日)
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火の見櫓の代用とか、役場庁舎や消防署の屋上にあるのとかではなく、
正真正銘、それとして設置された専用の警報塔です。
市街の一角、高台にある加茂神社の境内に立っていて、
狛犬とのコラボする姿を見ることが出来ます。
岡崎現代型の狛犬もまた海の方向に視線を向けています。
3.11をこの場にいてじっと見つめ続けていたのでしょう。
この津波警報塔は昭和35年に発生したチリ地震大津波を受けて建立されたもので、
津波での犠牲者53名、被災家屋1480棟、損害額約80億円という被災状況を踏まえ、
一周年の昭和36年5月24日に建立されたものです。
足元にある碑文には、
「その惨禍を想起し 今後における不測の事態に備えるため
全国よりの義援金の一部をもって津波警報塔を建てる
誓ってかかる災いを繰り返すまじとの祈りをこめて」
とありました。
高台から見下ろす町のいま。
そしてすっかり野原のような状態の海岸近くの市街地へ下りて、
津波警報塔のあるほうを見返してみました。
きっとあの日も、サイレンがけたたましく鳴り響いていたことでしょう。
(撮影日:2013年8月13日)
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大船渡市のスリム櫓 [火の見櫓(岩手県)]
大船渡市下船渡の火の見櫓。
国道45号沿いに立っています。
こちらも沿岸部からさほど離れた距離ではありませんが、
国道自体が高台を走っているため、この火の見櫓の立つ場所は
津波の直接的な被害は免れたようです。
先にアップした末崎町のものと異なり、ちゃんと半鐘があり、
デザイン的にも標準的な火の見櫓のそれとなっています。
ただ、斜材はターンバックルは使用せず、山形鋼にて仕上げており、
また全体的なフォルムもかなり細身。
あと、屋根の代わり(?)に防災サイレンが設置されているのは
やはり土地柄というべきでしょうか。
震災の生き証人として、今後も地域防災のシンボルとして
長生きして欲しいと願います。
(撮影日:2013年8月13日)
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国道45号沿いに立っています。
こちらも沿岸部からさほど離れた距離ではありませんが、
国道自体が高台を走っているため、この火の見櫓の立つ場所は
津波の直接的な被害は免れたようです。
先にアップした末崎町のものと異なり、ちゃんと半鐘があり、
デザイン的にも標準的な火の見櫓のそれとなっています。
ただ、斜材はターンバックルは使用せず、山形鋼にて仕上げており、
また全体的なフォルムもかなり細身。
あと、屋根の代わり(?)に防災サイレンが設置されているのは
やはり土地柄というべきでしょうか。
震災の生き証人として、今後も地域防災のシンボルとして
長生きして欲しいと願います。
(撮影日:2013年8月13日)
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沿岸部に立つ防災塔 [火の見櫓(岩手県)]
大船渡市末崎町小中井の火の見櫓。
火の見という表現が果たして適切なのか。
半鐘は装備されておらず、てっぺんには防災サイレン。
土地柄、津波警報塔としての意味合いが強いでしょう。
広く言ってしまえば防災塔という表現でもいいかも。
沿岸部の火の見櫓は津波に被災したもので
倒壊してしまったものが相当数あったようです。
震災後しばらくの間は放置されたままだったものもあるようですが、
私が訪れた際には、そうした被災放置だった倒壊櫓はすべて撤去済みでした。
この櫓は立っている場所は海面より一段上がった土地で、
震災時の津波は道路の直下までだったようなので、
直接津波には襲われなかったようです。
が、当時はサイレンがきっとけたたましく鳴り響いたのではないでしょうか。
主要構造部は丸鋼を使用しており、
三脚の柱は先端部が見張り台を突き抜け、
そのまま防災サイレンの装置を固定する役割を受けています。
鋼材も含めてデザインとしては珍しい形かもしれませんね。
(撮影日:2013年8月13日)
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火の見という表現が果たして適切なのか。
半鐘は装備されておらず、てっぺんには防災サイレン。
土地柄、津波警報塔としての意味合いが強いでしょう。
広く言ってしまえば防災塔という表現でもいいかも。
沿岸部の火の見櫓は津波に被災したもので
倒壊してしまったものが相当数あったようです。
震災後しばらくの間は放置されたままだったものもあるようですが、
私が訪れた際には、そうした被災放置だった倒壊櫓はすべて撤去済みでした。
この櫓は立っている場所は海面より一段上がった土地で、
震災時の津波は道路の直下までだったようなので、
直接津波には襲われなかったようです。
が、当時はサイレンがきっとけたたましく鳴り響いたのではないでしょうか。
主要構造部は丸鋼を使用しており、
三脚の柱は先端部が見張り台を突き抜け、
そのまま防災サイレンの装置を固定する役割を受けています。
鋼材も含めてデザインとしては珍しい形かもしれませんね。
(撮影日:2013年8月13日)
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