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自然石(?)狛犬と超巨大玉乗り狛犬 [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山県伊都郡かつらぎ町、東渋田の蟻通神社。
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珍しい名前ですが、大阪泉佐野市、和歌山県田辺市など他にも数社存在するようです。
それぞれ主祭神は異なるようですが、泉佐野の蟻通神社HPによれば、
熊野詣でに連なる道沿いに社が設けられているようなので、
「蟻の熊野詣」の言葉ともなにかしら縁があるのかもしれないと指摘があります。

この東渋田の蟻通神社の由緒書きによれば、、、(クリックで拡大)
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ということで、泉佐野の蟻通神社の縁起にも同じ難題七曲勾玉の話があるので、
蟻通神社の共通由来といっていいかもしれませんね。

同社の主祭神“八意思兼命”は知恵を司る神様。
学問・受験の神様的存在ということで、受験生などの参拝が多いようです。

さて境内。
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長屋門入口に立つ一の鳥居脇に狛犬一対。
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平成8年10月建立の岡崎現代型。

境内に進むと、石段途中に神門が見えます。
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取材日は大晦日イブだったので、茅の輪が用意されていました。

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社務所を横に見つつ、石段を上に。
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本殿(八意思兼命)
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左脇宮(事代主大神、少彦名大神)
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右脇宮(市杵嶋姫大神、大国主大神)
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平和宮
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蟻通戎神社
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そして、本殿を囲う瑞垣の手前に一対の狛犬。
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情報によれば明治37年(1904)建立。
近寄りがたい場所にあるので自分では確認できませんでした。

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阿形のほうは残念ながら顔が半分欠けてしまってますね。
誤って転倒でもしてしまったのでしょうか。
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蔓草のような葉が付着していますね。
もうちょっと整備していただければと思うのですが。。。

そして同社にある狛犬のメインとしてはこちら。
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格子塀の内側にあってけっこう見づらいポジションなのですが、
境内には狛犬についての由緒書きまで用意されている丁寧ぶり。
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一体しかなく、“巨大な自然石で造られ”とありますが、
たしかに天然自然のままではなく手を施した様子が伺えます。
普通に像にしようとして途中で諦めたとか??

で、一体だけだと寂しかろうと考えたのか、
平成8年の式年遷宮に対となるようもう一体新たに作ったそうなのですが。。。
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第一印象・・・・・・でかっ!
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この画像だけだと分かりづらいかもしれませんが、
背丈、長さ、いづれをとってもじゅうぶん成人男性のそれといい勝負。
(スケール持参でちゃんと計測すればよかった。)

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まあ、確かにオリジナルの自然石風狛犬(?)も相当な大きさですけどね。
向きが同じ方向で座っているのは敷地の都合もあって
今の場所しか設置できなかったからではと推測。
でも、オリジナルが通常の吽形サイドに居るかたちなので
普通なら吽形になるところを敢えて阿形として製作したのかもしれません。
由緒書きにはそこまで但し書きがないので真実は不明ですが。

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玉乗り狛犬の形をとったのは、
そのほうが大型に製作できると考えたからでしょう・・・・・・知らんけど。
広島以西の山陽路に多い玉乗り。和歌山では珍しいと思います。

同社は当地、古くからかつらぎ町渋田地区の氏神様。
じつはこの渋田、拙者の母方の実家がある(あった)土地でございまして。
家系でいえば自分の氏神とはなりませんが、恥ずかしい話ながら
いままでその存在すらハッキリ認識していませんでした。
幼少時は祖母の家へしょっちゅう遊びに行っていた記憶がありますが、
この神社のことはまったく記憶に残っていません。
古い由緒のある神社のようなのに、惜しいことです。
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(撮影日:2013年12月30日)


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世界遺産の神社にいる狛犬 [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山県伊都郡かつらぎ町、天野の丹生都比売神社。
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高野山の入山口にになる同社は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として、
本殿と楼門、境内一帯が登録されています。
国内的な文化財指定では、本殿と楼門が国重文、境内全体は国史跡。
また国宝をはじめとする数多くの貴重な文化財が存在しています。

境内にある由緒書きを要約すると・・・

正確な創建年は不明で、少なくとも今から1700年前には
創建されていたという話。
主祭神の丹生都比売大神は天照大神の妹神で、
現在のかつらぎ町三谷の地に降臨して紀州と大和の地を巡り、
農耕を伝えたのち、ここ天野の地に鎮座。
密教の根本道場を求めていた弘法大師(空海)の前に
御子神の高野御子大神が白と黒の犬を連れた狩人に化身して現れ、
神社へ案内し更に高野山へ導いた、というのは今昔物語のお話。
空海は神様の導きによってその神域を借り受け、
そこに真言密教の総本山である高野山を開いた。
古くから日本人の心にある祖先を大切にし、
自然に感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、
当社と高野山によって神と仏が共存する日本の宗教観が形成されていった。
これが神仏融合のきっかけである・・・

・・・などということが記されていました。

そういうわけで、古くから高野山と深い繋がりの同社は今でも僧侶の参詣があり、
また参詣道のルートとして高野詣での際にはまず地主神である同社に参拝し、
それから高野山に入山するというのが、かつての慣習になっていたそうです。

さて、境内の様子。
境内入口に立つ朱塗りの両部鳥居。
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鳥居だけでなく、神社全体が朱塗りで彩られていて、
静かな山里の中でひときわ際立っています。

参道の輪橋と鏡池。
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美しいフォルムの反り橋は、かの淀君の寄進。
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池は、不老長寿となった八尾比丘尼(やおびくに)という尼僧が池に姿を映し、
年老わない自分を嘆いて鏡を投げ入れたと伝わることから来ているそうです。
(どうでもいい話ですが、八尾比丘尼って一発で変換できた。ちょっと驚き。)
八尾比丘尼(←Wikipediaへのリンク)

輪橋の上から眺める天野の里の風景。
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紀ノ川の流れる平野部から山の中へ車を走らせ、
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くねくねとした細い山道からトンネルを抜けると、それまでの谷あいの風景から一変して
山中に開けた標高450メートルの高原、静かな天野の里に入ります。
天野は自分の生まれ故郷から近い場所なので、
丹生都比売神社へは子供の頃からよく初詣などで訪れていました。
そんな親しみ深い神社が世界遺産になったというのは、なんとも妙な感覚です。

話が横道にそれました。神社に戻ります。

境内と楼門。
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緑の森の中でひときわ生える朱塗りの建物。
現在の建物は、明応8年(1499)室町中期の建立。
拝殿と神饌所の回廊が左右に附属しています。
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山中に堂々たる姿で立つ様子に圧倒されますが、同じ朱塗りでも
京や奈良の都のなかにある神社とはまた違った趣きがありますね。

本殿は4社。
一間社春日造としては最大の規模になるそうですが、
拝殿の手前からだと肝心の撮影がけっこう難しいです。
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写っている範囲で御紹介。向かって右から
第一殿:丹生都比売大神
第二殿:高野御子大神
第三殿:大食都比売大神
第四殿:市杵島比売大神
4つの社の形式になったのは鎌倉時代。
現在の本殿は室町時代に再建されたものだそうです。
装飾の絵も素晴らしく、間近でじっくり鑑賞したいところですが、
昇殿参拝でもしない限り、素人の撮影ではこれが精一杯でした。

さて、最後に狛犬。
ブロンズ像の一対が楼門前に鎮座。
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平成5年(1993)12月吉日建立。
戦前からブロンズ像があったようですが、戦時の軍事資材に供出されてしまい、
その後50数年の歳月を経て、楼門修理工事を記念して再建されました。
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原型は同神社にあった国重文指定の木造狛犬。
重文の狛犬はなんと計4対もあるそうで、同社で保管されているほか
京都国立博物館などへも出向しているものもあるようです。
いちど拝観してみたいものです。

世界遺産登録→俗化した観光地へ変貌、とよく言われますが、
この丹生都比売神社と天野の里に関してはそれほど目立った
観光俗化の動きはあまり感じられません。
今回平日に訪れた時には参拝者もほとんど居らず、
とても静かな空気の中でゆったり過ごすことが出来ました。
高野山への“観光”の機会があれば、ぜひ同社へも参拝してみてください。

丹生都比売神社公式HP

(撮影日:2012年10月9日)


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タグ:狛犬
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