会津の鎮守、心清水八幡神社 [狛犬・寺社(福島県)]
福島県河沼郡会津坂下町の心清水八幡神社。
創建は天喜3年(1055)、源頼義、義家父子が前九年合戦に石清水八幡を勧請し、
同地にて戦勝祈願したのが始まりで、その後、戦に勝利した源義家が
天喜5(1057)に社殿を建立し河沼郡の総鎮守と定めという話が伝わっています。
近世に入り、会津藩の庇護のもと、心清水八幡神社は会津五大社に定められ、
幕末には火災消失した社殿を、文久3年(1863)~同5年(1865)にかけて
藩によって再建を果たし、現在に至っています。
文久年間といえば最後の藩主、松平容保公ですね。
また同社には「塔寺八幡宮長帳」とよばれる日誌が残されていて
これには中世から近世初頭にかけて約300年近くの神社誌や近在の諸事情が記され、
国内第一級の資料として重要文化財指定を受けているそうです。
重要文化財としては室町初期に製作された“鰐口”もあります。
参道が長くて、一の鳥居はあまり目立たないおとなしい構え。
ほどなく神社らしからぬ武家屋敷のような門をくぐり、
すぐ先にある二の鳥居に到着。
ここに一対目の狛犬さんがいます。
昭和13年(1938)4月建立。
素材がなんとなく笏谷石のような印象なのですが、
だとすれば会津地方では珍しいですね。
阿形の口に玉が咥えられていて、例によってゴロゴロと口中で転がりますが、
彫りは比較的淡白な感じも。
二対目は拝殿前に鎮座。
昭和12年(1939)5月建立。彫刻:佐藤榮三郎。
二対とも福島型で、一対目のおよそ1年前に製作されたものですが、
同年代のものとは思えない外観の現状。
もっとも戦前の狛犬ならこの二対目のほうが順当な汚れ方(?)で、
一対目のほうはもしかしたら近年なにかしらのクリーニングや
メンテナンスが行われたのかも?
よく知りませんが・・・
立派な拝殿の裏側へ回ると、すぐに本殿はありません。
代わりに裏山へと伸びる長い石段が。
上っていいのかな?などと考えることもなく普通に歩いて登り、
行き着いた先に本殿を拝見。
板塀に囲われた、立派な流造の本殿。
これが上述の会津藩が建立した最後の建造物です。
(撮影日:2012年8月15日)
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創建は天喜3年(1055)、源頼義、義家父子が前九年合戦に石清水八幡を勧請し、
同地にて戦勝祈願したのが始まりで、その後、戦に勝利した源義家が
天喜5(1057)に社殿を建立し河沼郡の総鎮守と定めという話が伝わっています。
近世に入り、会津藩の庇護のもと、心清水八幡神社は会津五大社に定められ、
幕末には火災消失した社殿を、文久3年(1863)~同5年(1865)にかけて
藩によって再建を果たし、現在に至っています。
文久年間といえば最後の藩主、松平容保公ですね。
また同社には「塔寺八幡宮長帳」とよばれる日誌が残されていて
これには中世から近世初頭にかけて約300年近くの神社誌や近在の諸事情が記され、
国内第一級の資料として重要文化財指定を受けているそうです。
重要文化財としては室町初期に製作された“鰐口”もあります。
参道が長くて、一の鳥居はあまり目立たないおとなしい構え。
ほどなく神社らしからぬ武家屋敷のような門をくぐり、
すぐ先にある二の鳥居に到着。
ここに一対目の狛犬さんがいます。
昭和13年(1938)4月建立。
素材がなんとなく笏谷石のような印象なのですが、
だとすれば会津地方では珍しいですね。
阿形の口に玉が咥えられていて、例によってゴロゴロと口中で転がりますが、
彫りは比較的淡白な感じも。
二対目は拝殿前に鎮座。
昭和12年(1939)5月建立。彫刻:佐藤榮三郎。
二対とも福島型で、一対目のおよそ1年前に製作されたものですが、
同年代のものとは思えない外観の現状。
もっとも戦前の狛犬ならこの二対目のほうが順当な汚れ方(?)で、
一対目のほうはもしかしたら近年なにかしらのクリーニングや
メンテナンスが行われたのかも?
よく知りませんが・・・
立派な拝殿の裏側へ回ると、すぐに本殿はありません。
代わりに裏山へと伸びる長い石段が。
上っていいのかな?などと考えることもなく普通に歩いて登り、
行き着いた先に本殿を拝見。
板塀に囲われた、立派な流造の本殿。
これが上述の会津藩が建立した最後の建造物です。
(撮影日:2012年8月15日)
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