国登録有形文化財の木造火の見櫓 [火の見櫓(岐阜県)]
ほぼ一年前の取材・・・
岐阜県高山市、本町の山桜神社。
、、、という出だしでこのブログに記事を載せれば、
普通なら狛犬ネタになるところなのですが、
今回はさにあらず。
こちら、火の見櫓。
高山市街地内に鎮まる神社の社殿に隣接する建物の上に建っています。
見たまんま木造です。今となっては貴重な存在で、
平成19年(2007)に国の登録有形文化財になっています。
歴史をひもとくと、そもそも山桜神社は山桜という江戸期に実在した馬を
ご祭神として祀っている神社です。
江戸初期の高山城主・金森頼直の愛馬として飼われていた折、
江戸で明暦の大火(振袖火事)に遭遇。
藩の江戸屋敷が炎に包まれるなか、山桜は江戸城の百間堀を飛び越えて
主君を助けたのだということです。
山桜はその功績で晩年は高山市街に厩舎をあてがわれ、
死後は火葬されて手厚く葬られたとのこと。
神社はその山桜を馬頭様として祀り、
火伏せの神様として高山の人に崇められ今日に至っているそうです。
火の見櫓は馬頭組という町の火消し組より
嘉永7年に建設願いが出されて建てられたものと伝わっています。
当時は別の場所にあったそうで、明治5年の火災でいったんは焼失。
その後、新たに再建され、昭和7年に現参道付近に移転。
さらに昭和11年(1936)に社地拡大社殿改修の折に現在地へ移転、
現在に至っています。
高さ約7mで内部は三層構造。
写真では識別できませんが、望楼のガラス窓の内側には
明治11年(1878)の銘が入った半鐘が吊るされているそうで、
焼失後の再建もこの年代ではないかと推測されています。
まちなかに存在する木造の火の見櫓として
江戸時代の名残りを感じさせるものではあるのですが、
まちなか故に建物の密集地域で全体像が掴みづらく、
贅沢な話ですが火の見ヤグラーとしてはじれったさの残る櫓でもあります。
あ、ちなみに神社の狛犬はこちら。
いちおう紹介しておきます。
岡崎現代型でした。。。
(撮影日:2012年3月18日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
岐阜県高山市、本町の山桜神社。
、、、という出だしでこのブログに記事を載せれば、
普通なら狛犬ネタになるところなのですが、
今回はさにあらず。
こちら、火の見櫓。
高山市街地内に鎮まる神社の社殿に隣接する建物の上に建っています。
見たまんま木造です。今となっては貴重な存在で、
平成19年(2007)に国の登録有形文化財になっています。
歴史をひもとくと、そもそも山桜神社は山桜という江戸期に実在した馬を
ご祭神として祀っている神社です。
江戸初期の高山城主・金森頼直の愛馬として飼われていた折、
江戸で明暦の大火(振袖火事)に遭遇。
藩の江戸屋敷が炎に包まれるなか、山桜は江戸城の百間堀を飛び越えて
主君を助けたのだということです。
山桜はその功績で晩年は高山市街に厩舎をあてがわれ、
死後は火葬されて手厚く葬られたとのこと。
神社はその山桜を馬頭様として祀り、
火伏せの神様として高山の人に崇められ今日に至っているそうです。
火の見櫓は馬頭組という町の火消し組より
嘉永7年に建設願いが出されて建てられたものと伝わっています。
当時は別の場所にあったそうで、明治5年の火災でいったんは焼失。
その後、新たに再建され、昭和7年に現参道付近に移転。
さらに昭和11年(1936)に社地拡大社殿改修の折に現在地へ移転、
現在に至っています。
高さ約7mで内部は三層構造。
写真では識別できませんが、望楼のガラス窓の内側には
明治11年(1878)の銘が入った半鐘が吊るされているそうで、
焼失後の再建もこの年代ではないかと推測されています。
まちなかに存在する木造の火の見櫓として
江戸時代の名残りを感じさせるものではあるのですが、
まちなか故に建物の密集地域で全体像が掴みづらく、
贅沢な話ですが火の見ヤグラーとしてはじれったさの残る櫓でもあります。
あ、ちなみに神社の狛犬はこちら。
いちおう紹介しておきます。
岡崎現代型でした。。。
(撮影日:2012年3月18日)
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