出雲ではないけれど構え型 [狛犬・寺社(長野市)]
長野市鬼無里、鬼無里神社。
鬼無里のもっとも民家や商店の集まる中心地にあり、
一段上がったところから村を見守るように鎮座しています。
県道から石段を上って境内へ。
鬼無里という村の鎮守様という雰囲気満点です。
ご祭神:建御名方命
相殿:八坂刀売命、素盞嗚尊、大物主命
創建は不明。由緒に拠れば奈良時代創建と推定されているようです。
そしてここでもまた、坂上田村麿が登場してきました。。。
こじんまりした拝殿。
高床式になっているのは、おそらく雪のことを考えてのことでしょう。
狛犬は拝殿前に一対。
御大典記念、昭和3年(1928)11月建立。
拝殿と一緒で台座も背が高いですね。
ここの子達は構え獅子。
構えといえば出雲などが有名ですが、
こういうオリジナルな構えというのはかえって新鮮でいいですね。
いちおう、どっちも口は開けているんですよね。
向かって左のほうがいくらか閉じ加減ですが、吽とまでもいえないですかね。
そして拝殿の脇に、一体だけの狛犬がいました。
もちろん、うんと背の高い台座の上にいます。
大正15年(1926)8月25日建立。
片足を上げて変則的な招きポーズ。
台座には「神威輝八紘」とあります。
この文字のあとに続く文字があって一対の柱や台座に刻まれていたりするのかもしれませんが、
となると狛犬の台座という点からすれば、やはり以前は対であったと考えるのが自然でしょう。
なにかの事情でなくなってしまったのかな?
境内には安曇野ではあまり見かけないタイプの道祖神が一体。
双体像ですが、男神女神の仲睦まじい様子は変わりないですね。
外灯もなんとなく洋風。
上にも書きましたが、こじんまりした境内です。
よく都市部にある神社などと変わらないくらいの広さだと思いますが、
雰囲気は地域の鎮守の杜としてのそれがよく出ているいい境内だと感じました。
しかも、狛犬たちの視線の先には火の見櫓らしきものの存在が。。。
(次エントリーに続く・・・)
(撮影日:2012年10月4日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
鬼無里のもっとも民家や商店の集まる中心地にあり、
一段上がったところから村を見守るように鎮座しています。
県道から石段を上って境内へ。
鬼無里という村の鎮守様という雰囲気満点です。
ご祭神:建御名方命
相殿:八坂刀売命、素盞嗚尊、大物主命
創建は不明。由緒に拠れば奈良時代創建と推定されているようです。
そしてここでもまた、坂上田村麿が登場してきました。。。
こじんまりした拝殿。
高床式になっているのは、おそらく雪のことを考えてのことでしょう。
狛犬は拝殿前に一対。
御大典記念、昭和3年(1928)11月建立。
拝殿と一緒で台座も背が高いですね。
ここの子達は構え獅子。
構えといえば出雲などが有名ですが、
こういうオリジナルな構えというのはかえって新鮮でいいですね。
いちおう、どっちも口は開けているんですよね。
向かって左のほうがいくらか閉じ加減ですが、吽とまでもいえないですかね。
そして拝殿の脇に、一体だけの狛犬がいました。
もちろん、うんと背の高い台座の上にいます。
大正15年(1926)8月25日建立。
片足を上げて変則的な招きポーズ。
台座には「神威輝八紘」とあります。
この文字のあとに続く文字があって一対の柱や台座に刻まれていたりするのかもしれませんが、
となると狛犬の台座という点からすれば、やはり以前は対であったと考えるのが自然でしょう。
なにかの事情でなくなってしまったのかな?
境内には安曇野ではあまり見かけないタイプの道祖神が一体。
双体像ですが、男神女神の仲睦まじい様子は変わりないですね。
外灯もなんとなく洋風。
上にも書きましたが、こじんまりした境内です。
よく都市部にある神社などと変わらないくらいの広さだと思いますが、
雰囲気は地域の鎮守の杜としてのそれがよく出ているいい境内だと感じました。
しかも、狛犬たちの視線の先には火の見櫓らしきものの存在が。。。
(次エントリーに続く・・・)
(撮影日:2012年10月4日)
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