黒石藩祖の鎮まる神社 [狛犬・寺社(青森県)]
さて、今回からまた北東北2013取材ツアー報告を再開します(^^)
弘前中心に津軽地方の続きです。
黒石市市ノ町の黒石神社。
弘前藩の支藩にあたる黒石藩の藩祖になる津軽十郎左衛門信英を祀っており、
逝去の後、黒石陣屋東南の隅に廟を建立して埋葬したのが始まりと伝えられています。
宗家筋の弘前藩で信英を後継に推すお家騒動が起きるほど
有能な人物だったという評価もあるらしく、
明治維新で廃藩廃城となったおり、旧家臣たちが藩祖を偲び
明治12年(1879)に神祭願いを県令に提出し、郷社に列せられました。
明治15年(1882)には県社に昇格、戦後は社格制度は廃止となりましたが
現在も氏子ではなく崇敬会をもって神社の維持運営に当たっているそうです。
(参照:青森県神社庁HPなど)
境内は黒石市役所至近にあり、表参道の鳥居は北向き、
本殿は東に座して西面しています。
西面する神社は珍しいですね。
狛犬は神門の前に一対。
明治44年(1911)7月22日建立。
石工:倉嶋雄次郎。
ディスイズ津軽の狛犬!って感じの子達ですね(^^)
本殿と拝殿。
境内はこじんまりしていますが、とてもキレイに整備されていて、
崇敬会はじめ市民に親しまれている様子が伺える神社でした。
(撮影日:2013年8月14日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
弘前中心に津軽地方の続きです。
黒石市市ノ町の黒石神社。
弘前藩の支藩にあたる黒石藩の藩祖になる津軽十郎左衛門信英を祀っており、
逝去の後、黒石陣屋東南の隅に廟を建立して埋葬したのが始まりと伝えられています。
宗家筋の弘前藩で信英を後継に推すお家騒動が起きるほど
有能な人物だったという評価もあるらしく、
明治維新で廃藩廃城となったおり、旧家臣たちが藩祖を偲び
明治12年(1879)に神祭願いを県令に提出し、郷社に列せられました。
明治15年(1882)には県社に昇格、戦後は社格制度は廃止となりましたが
現在も氏子ではなく崇敬会をもって神社の維持運営に当たっているそうです。
(参照:青森県神社庁HPなど)
境内は黒石市役所至近にあり、表参道の鳥居は北向き、
本殿は東に座して西面しています。
西面する神社は珍しいですね。
狛犬は神門の前に一対。
明治44年(1911)7月22日建立。
石工:倉嶋雄次郎。
ディスイズ津軽の狛犬!って感じの子達ですね(^^)
本殿と拝殿。
境内はこじんまりしていますが、とてもキレイに整備されていて、
崇敬会はじめ市民に親しまれている様子が伺える神社でした。
(撮影日:2013年8月14日)
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