お城の中の護国神社 [狛犬・寺社(青森県)]
弘前市下白銀町、青森縣護國神社。
弘前城址の弘前公園の一角に鎮座。
明治3年(1870)、函館戦争戦没者慰霊のため創建。
明治43年(1910)、弘前招魂社と改称し現在地に移築。
昭和11年(1936)、青森懸招魂社と改称。
昭和14年(1939)、一府県一社の原則により、内務大臣指定護國神社となる。
とまあ、全国各地のおおかたの護國神社と同様の歴史を辿って現在に至っています。
こちらでは現在、2万9千余柱の英霊が祀られています。
県庁所在地の青森市ではなく、藩政時代の城下町であった弘前市に置かれたのは
松本市に据えられた長野懸護國神社の場合と似たシチュエーションですが、
明治維新後の県政の状況は青森と長野では必ずしも同じ道筋ではなかったようで、
その辺の話を絡めると複雑になるので、これ以上は割愛。
境内のある弘前城は事前に想像していたよりも広くてゆったりしており、
天守閣の眺めも素敵でした。
やはり、桜の季節ですね、次に来るとすれば。
あ、神社に狛犬は居ませんでした。
(撮影日:2013年8月14~16日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
弘前城址の弘前公園の一角に鎮座。
明治3年(1870)、函館戦争戦没者慰霊のため創建。
明治43年(1910)、弘前招魂社と改称し現在地に移築。
昭和11年(1936)、青森懸招魂社と改称。
昭和14年(1939)、一府県一社の原則により、内務大臣指定護國神社となる。
とまあ、全国各地のおおかたの護國神社と同様の歴史を辿って現在に至っています。
こちらでは現在、2万9千余柱の英霊が祀られています。
県庁所在地の青森市ではなく、藩政時代の城下町であった弘前市に置かれたのは
松本市に据えられた長野懸護國神社の場合と似たシチュエーションですが、
明治維新後の県政の状況は青森と長野では必ずしも同じ道筋ではなかったようで、
その辺の話を絡めると複雑になるので、これ以上は割愛。
境内のある弘前城は事前に想像していたよりも広くてゆったりしており、
天守閣の眺めも素敵でした。
やはり、桜の季節ですね、次に来るとすれば。
あ、神社に狛犬は居ませんでした。
(撮影日:2013年8月14~16日)
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