江戸最古の獅子山 [狛犬・寺社(東京都)]
東京都墨田区向島、牛嶋神社。
スカイツリーのお膝元、というか、
神社の近所にツリーが出来てしまったということ。
隅田川の左岸にあり、付近は水戸徳川家の下屋敷が在った場所でした。
その遺構を生かして現在の隅田公園が作られ、桜の名所となっているらしく。
で、牛嶋神社はその隅田公園とセットで存在してような感じで鎮座しています。
取材時は散りかけでしたが、まだ桜の花も見られてきれいでした。
さて、境内。
鳥居をくぐると、さっそく1対目の狛犬が出迎えてくれます。
昭和7年9月建立。
関東大震災で焼失した社殿復興を記念した所縁があるようですが、
銘文がところどころはっきり読みづらくて。
図体はデカイですが、耳の大きい表情は愛嬌があります。
境内は決して広いわけではないものの、そのぶんきれいに整えられていて、
外国人観光客の姿もチラホラ見かけます。
神楽殿。
手水舎。
昔の井戸?
屋台庫かなにかでしょうか?
こちらの例大祭は下町らしく、神輿などが出てにぎやかなもののようですね。
境内の一角に、撫牛という子がいます。
自分の体の悪い部分を撫で、牛の同じところを撫でると
病が治るという、撫牛の風習。
この牛は墨田区登録有形民俗文化財です。
その傍らには日時計がありました。
ところで同社の縁起ですが。。。
ご祭神は、
須佐之男命(すさのおのみこと)
天之穂日命(あめのほひのみこと)
貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)
東京神社庁の由緒によれば、
貞観2年(860)、慈覚大師の御神託により創建したとあります。
公式HPはなさそうなので、他のウェブサイトにある二次資料を参照すると、
幕末までは本所の牛宝山明王院最勝寺が別当寺として同社を管理し、
牛の御前社として祀られる中、鬼門守護の社として将軍家の崇敬も厚かったようです。
明治維新後、神仏分離により社名を牛嶋神社と改称。
本所の鎮守として氏子の崇敬を集めてきました。
なお境内の由緒書きには同社付近に牛牧があった話が記されており、
同地の牛との所縁が理解できます↓ ↓
さて、境内をさらに進むと三ツ鳥居があり、
鳥居をくぐると今回の目玉、江戸最古の獅子山が姿を現します。
文政10年(1827)丁亥2月吉日建立。
石工:東都彫工 伊奈庄次郎正継。
大正7年9月改修の文字も別に見ることができます。
年代的に見て、江戸において現存する最古の獅子山と評価分析されており、
墨田区登録有形民俗文化財となっています。
もちろん、登録理由は単に年代の古さだけじゃなく、
石工の仕事の良さも評価されてのことだと思います。
溶岩を用いたスタンダードな獅子山。
子獅子は吽形の側に一体のみと、その点はややおとなしめ。
また子獅子は頭部に破損が生じたせいか、露骨な処置が施されているのですが、
あまり上手に出来ていないのがちょっと残念。
ただ、阿吽ともに破天荒というところまではいかずとも、
親獅子の躍動感ある姿はやはり獅子山の醍醐味で、
尾の流麗に流れる彫りの様子もすばらしく、
獅子山の狛犬としてのお手本のような存在ではないでしょうか。
まあ、獅子山が本格的に製作されるようになる創成期の作品なので
シンプルスタンダードなのは自然なことかもしれません。
あと、この獅子山の傍らに阿吽とも蹲踞した狛犬1対もいます。
文化8年(1811)辛未2月吉日建立。
石工:和泉屋平吉(?)。
吽形は少し風化というか欠損しているようにも見えます。
震災などの場面で倒れて傷を負ったのでしょうか。
そして同社にはあと1対、拝殿の両脇に狛犬がいます。
享保14年(1729)己酉9月15日建立。
江戸の町でも享保年間の狛犬となるとかなり古い時代に分類されます。
前足後ろ足とも彫りが素朴で、尾も流れではなく尾立ちになっています。
区HPによると、墨田区内では最古の狛犬とのことです。
あと、この享保狛犬のすぐ傍にも牛が居まして。
安政6年(1859)己未3月吉祥日建立。
石工:小梅村 角治郎。
牛御前の社にちなみ、狛犬代わりに奉納されたのであろうと、
区HPの文化財コーナーの一文が語っています。
牛で有名な神社ですが、狛犬研究家にとっても
見ごたえのある狛犬たちがたくさんいて、充実感を味わえる神社だと思います。
(撮影日:2014年4月8日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
スカイツリーのお膝元、というか、
神社の近所にツリーが出来てしまったということ。
隅田川の左岸にあり、付近は水戸徳川家の下屋敷が在った場所でした。
その遺構を生かして現在の隅田公園が作られ、桜の名所となっているらしく。
で、牛嶋神社はその隅田公園とセットで存在してような感じで鎮座しています。
取材時は散りかけでしたが、まだ桜の花も見られてきれいでした。
さて、境内。
鳥居をくぐると、さっそく1対目の狛犬が出迎えてくれます。
昭和7年9月建立。
関東大震災で焼失した社殿復興を記念した所縁があるようですが、
銘文がところどころはっきり読みづらくて。
図体はデカイですが、耳の大きい表情は愛嬌があります。
境内は決して広いわけではないものの、そのぶんきれいに整えられていて、
外国人観光客の姿もチラホラ見かけます。
神楽殿。
手水舎。
昔の井戸?
屋台庫かなにかでしょうか?
こちらの例大祭は下町らしく、神輿などが出てにぎやかなもののようですね。
境内の一角に、撫牛という子がいます。
自分の体の悪い部分を撫で、牛の同じところを撫でると
病が治るという、撫牛の風習。
この牛は墨田区登録有形民俗文化財です。
その傍らには日時計がありました。
ところで同社の縁起ですが。。。
ご祭神は、
須佐之男命(すさのおのみこと)
天之穂日命(あめのほひのみこと)
貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)
東京神社庁の由緒によれば、
貞観2年(860)、慈覚大師の御神託により創建したとあります。
公式HPはなさそうなので、他のウェブサイトにある二次資料を参照すると、
幕末までは本所の牛宝山明王院最勝寺が別当寺として同社を管理し、
牛の御前社として祀られる中、鬼門守護の社として将軍家の崇敬も厚かったようです。
明治維新後、神仏分離により社名を牛嶋神社と改称。
本所の鎮守として氏子の崇敬を集めてきました。
なお境内の由緒書きには同社付近に牛牧があった話が記されており、
同地の牛との所縁が理解できます↓ ↓
さて、境内をさらに進むと三ツ鳥居があり、
鳥居をくぐると今回の目玉、江戸最古の獅子山が姿を現します。
文政10年(1827)丁亥2月吉日建立。
石工:東都彫工 伊奈庄次郎正継。
大正7年9月改修の文字も別に見ることができます。
年代的に見て、江戸において現存する最古の獅子山と評価分析されており、
墨田区登録有形民俗文化財となっています。
もちろん、登録理由は単に年代の古さだけじゃなく、
石工の仕事の良さも評価されてのことだと思います。
溶岩を用いたスタンダードな獅子山。
子獅子は吽形の側に一体のみと、その点はややおとなしめ。
また子獅子は頭部に破損が生じたせいか、露骨な処置が施されているのですが、
あまり上手に出来ていないのがちょっと残念。
ただ、阿吽ともに破天荒というところまではいかずとも、
親獅子の躍動感ある姿はやはり獅子山の醍醐味で、
尾の流麗に流れる彫りの様子もすばらしく、
獅子山の狛犬としてのお手本のような存在ではないでしょうか。
まあ、獅子山が本格的に製作されるようになる創成期の作品なので
シンプルスタンダードなのは自然なことかもしれません。
あと、この獅子山の傍らに阿吽とも蹲踞した狛犬1対もいます。
文化8年(1811)辛未2月吉日建立。
石工:和泉屋平吉(?)。
吽形は少し風化というか欠損しているようにも見えます。
震災などの場面で倒れて傷を負ったのでしょうか。
そして同社にはあと1対、拝殿の両脇に狛犬がいます。
享保14年(1729)己酉9月15日建立。
江戸の町でも享保年間の狛犬となるとかなり古い時代に分類されます。
前足後ろ足とも彫りが素朴で、尾も流れではなく尾立ちになっています。
区HPによると、墨田区内では最古の狛犬とのことです。
あと、この享保狛犬のすぐ傍にも牛が居まして。
安政6年(1859)己未3月吉祥日建立。
石工:小梅村 角治郎。
牛御前の社にちなみ、狛犬代わりに奉納されたのであろうと、
区HPの文化財コーナーの一文が語っています。
牛で有名な神社ですが、狛犬研究家にとっても
見ごたえのある狛犬たちがたくさんいて、充実感を味わえる神社だと思います。
(撮影日:2014年4月8日)
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