白河楽翁の歌碑を囲う、巨大な石柵 [狛犬・寺社(福島県)]
福島県白河市借宿、羽黒神社。
県道からいきなり階段の参道がはじまってます。
たぶん道路を切り開いたのに合わせてこういう形状になったと思われ。
県道の入口面に鳥居も社号標もないため、
普通に車で走ってきて危うく通り過ぎるところでした。
じつはここにも名工・小松寅吉の作となる狛犬がいるのですが。。。
なんということでしょう!(←アンビリーバボー風)
震災の影響で、台座から崩れてしまっています。
阿形はまだかろうじて台座に乗っていますが、
吽形は完全に転げ落ちてしまって。。。
先に訪れた南湖神社などでは狛犬(の台座)修復を行い完全復活していましたが、
ああいう大きな神社ででもなければなかなか狛犬まで手が回らないのでしょう。
狛犬の背後に立っていたであろう鳥居も倒壊しており、
石灯籠も大きいのがなんとか残っているものの、残りは台座のみ。
(情報によればこの鳥居が倒れた影響で狛犬が崩れたらしい・・・)
しかし……
この神社を訪れたもうひとつのお目当ては、どうやら無事の様子でした。
松平定信公…白河楽翁とも称される地元の名君だったお方の
歌碑がここにあるのですが、じつは目当てはその歌碑ではなく(失礼)、
その歌碑を取り込んで建てられている石柵のほうでして。
正面からでは主役であるはずの歌碑の姿がほとんど見えない、
そんな奇妙な石柵も、じつは小松寅吉の作品。
観音開きの扉のじつに細かな彫刻。
扉の両脇の彫り物。
扉上部にいるのは、、、?
扉の下にもちっちゃなウサギと鶏、、、芸が細かい。
そして裏に回りこむと見える、柱を支える狛犬一対。
逆さ立ちしているユニークな姿。
で、これが肝心の歌碑。
反対側から見ると柵と歌碑の関係性がよく分かります。
どっちが主役か分からない状態ですね。
どうにも不思議で謎な風景。
狛犬研究家のあいだで通説になっている(かどうかは知りませんが)話だと、、、
まず歌碑の製作者は寅吉ではなく、東京の有名石屋「井亀泉」。(←これは事実)
井亀泉(せいきせん)は有名ブランド石屋なので、明治30年当時、
歌碑発注者の子爵・松平定教(定信の子孫)氏が制作依頼したのも無理からぬこと。
しかし狛犬や石灯籠など数多くの作品をこの神社のために作り上げてきた寅吉にとって
地元の自分を差し置いて東京の石屋に依頼されたことが心地よいものではない。
で、歌碑を囲う柵の依頼を受け、自身のプライドをかけて「どうだ!」とばかりに
巨大な石柵を作り上げてしまったのでないか、、、
、、、という推測がなされているようです。
歴史の真実はいずこにあるのでしょうね。
いづれにしても寅吉の“人となり”を推し量るに参考となる作品には違いないと思います。
ちなみにこちらでも雨にたたられまして、
長い参道を登っていく気が失せてしまい、写真は参道入口のこの近辺だけ。
まったくもって神をも恐れぬなんとやら、です(自嘲)
(撮影日:2012年8月14日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
県道からいきなり階段の参道がはじまってます。
たぶん道路を切り開いたのに合わせてこういう形状になったと思われ。
県道の入口面に鳥居も社号標もないため、
普通に車で走ってきて危うく通り過ぎるところでした。
じつはここにも名工・小松寅吉の作となる狛犬がいるのですが。。。
なんということでしょう!(←アンビリーバボー風)
震災の影響で、台座から崩れてしまっています。
阿形はまだかろうじて台座に乗っていますが、
吽形は完全に転げ落ちてしまって。。。
先に訪れた南湖神社などでは狛犬(の台座)修復を行い完全復活していましたが、
ああいう大きな神社ででもなければなかなか狛犬まで手が回らないのでしょう。
狛犬の背後に立っていたであろう鳥居も倒壊しており、
石灯籠も大きいのがなんとか残っているものの、残りは台座のみ。
(情報によればこの鳥居が倒れた影響で狛犬が崩れたらしい・・・)
しかし……
この神社を訪れたもうひとつのお目当ては、どうやら無事の様子でした。
松平定信公…白河楽翁とも称される地元の名君だったお方の
歌碑がここにあるのですが、じつは目当てはその歌碑ではなく(失礼)、
その歌碑を取り込んで建てられている石柵のほうでして。
正面からでは主役であるはずの歌碑の姿がほとんど見えない、
そんな奇妙な石柵も、じつは小松寅吉の作品。
観音開きの扉のじつに細かな彫刻。
扉の両脇の彫り物。
扉上部にいるのは、、、?
扉の下にもちっちゃなウサギと鶏、、、芸が細かい。
そして裏に回りこむと見える、柱を支える狛犬一対。
逆さ立ちしているユニークな姿。
で、これが肝心の歌碑。
反対側から見ると柵と歌碑の関係性がよく分かります。
どっちが主役か分からない状態ですね。
どうにも不思議で謎な風景。
狛犬研究家のあいだで通説になっている(かどうかは知りませんが)話だと、、、
まず歌碑の製作者は寅吉ではなく、東京の有名石屋「井亀泉」。(←これは事実)
井亀泉(せいきせん)は有名ブランド石屋なので、明治30年当時、
歌碑発注者の子爵・松平定教(定信の子孫)氏が制作依頼したのも無理からぬこと。
しかし狛犬や石灯籠など数多くの作品をこの神社のために作り上げてきた寅吉にとって
地元の自分を差し置いて東京の石屋に依頼されたことが心地よいものではない。
で、歌碑を囲う柵の依頼を受け、自身のプライドをかけて「どうだ!」とばかりに
巨大な石柵を作り上げてしまったのでないか、、、
、、、という推測がなされているようです。
歴史の真実はいずこにあるのでしょうね。
いづれにしても寅吉の“人となり”を推し量るに参考となる作品には違いないと思います。
ちなみにこちらでも雨にたたられまして、
長い参道を登っていく気が失せてしまい、写真は参道入口のこの近辺だけ。
まったくもって神をも恐れぬなんとやら、です(自嘲)
(撮影日:2012年8月14日)
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