上伊那の火の見やぐら講座に参加してみた [その他]
伊那市で火の見やぐらに関する講座が開かれるとの情報を得て、
今日はずっと仕事の予定でしたがなんとか都合をつけて行ってきました。
伊那市立図書館が主催(?)する伊那谷自由雑学大学の講座の一環らしく、
「千差万別 変幻自在 火の見やぐら このディープな世界」という物々しい(?)タイトル。
講師は地元伊那市の牧田豊氏。
10年ほど前から火の見やぐらに魅せられて以来、上伊那地区のやぐらを中心に
各地の火の見やぐらを取材して自分なりの分析分類を行っているそうで、
その研究の成果の発表を画像で紹介しながら披露されていました。
火の見やぐらに没頭したことを、病気にかかったと表現されているのは共感ですねw
タイトルにもあるように火の見やぐらはそれ自体がじつにさまざまな個性を持っていて
誤解を恐れずにいえば「みんなちがってみんないい」というのが火の見やぐらの世界観。
ということで、そのみんなちがってなんちゃらを見る側の視点に置き換えてみても、
ヤグラーの数だけその楽しみ方のパターンが存在するといっても過言ではないはず。
たとえば講師の方の場合は全体デザインのパターンによって類型分類されていて、
それぞれに第一発見ポイントの地名を型名に名付けるなど
ユニークな分類法を楽しんでいらっしゃる様子。
もっとも、類型をまとめるには火の見やぐらはあまりに個性があり過ぎるので、
現状の類型はゆうに30を超えているとのこと。
おそらくこれからも初見のデザインがどんどん増えていくでしょうけれど、
類型整理もけっこう苦労するのではないかと、他人事ながら心配にもなります。
なんにしても、氏はこれまでに500基近くの火の見やぐらを取材されているらしく、
地元だけでなく遠くは青森県まで行かれているところをみると
氏の火の見やぐらへの強い愛情がひしひしと感じられるというものです(^^)
また講座を終えたあとで挨拶かたがた立ち話をさせて頂いたのですが、
火の見やぐらは貴重な文化遺産だという氏の考えには同感するところ大でした。
講座のなかでは穂高町の黒部ダムやぐらも紹介して頂いたのが嬉しかったですね。
(これ↓)
(過去エントリー記事1.2013年9月2日)
(過去エントリー記事2.2014年3月9日)
今回の講座参加者はおそらく伊那市と周辺にお住まいの方が殆どだったでしょうが、
こうして各地で火の見やぐらに関する講座などが開催されることで
わずかずつでも一般市民への啓蒙が進んでくれればいいなと思った次第。
フェイスブックにて火の見やぐらの情報共有ページがあるということなので、
自分も参加して楽しませてもらうことにしました。
自分やU1教授が火の見やぐら講座を開いた際も受講参加者は多数でした。
どの地域でも火の見ヤグラーとその予備軍は相当数居るのかもしれませんね。
そんなことを感じさせてくれる、楽しい講座のひとときでした。
下の画像は講座からの帰り道、三州街道沿いで見かけた火の見やぐら。
火の用心のイルミネーション、ほっこりしますね。
今日はずっと仕事の予定でしたがなんとか都合をつけて行ってきました。
伊那市立図書館が主催(?)する伊那谷自由雑学大学の講座の一環らしく、
「千差万別 変幻自在 火の見やぐら このディープな世界」という物々しい(?)タイトル。
講師は地元伊那市の牧田豊氏。
10年ほど前から火の見やぐらに魅せられて以来、上伊那地区のやぐらを中心に
各地の火の見やぐらを取材して自分なりの分析分類を行っているそうで、
その研究の成果の発表を画像で紹介しながら披露されていました。
火の見やぐらに没頭したことを、病気にかかったと表現されているのは共感ですねw
タイトルにもあるように火の見やぐらはそれ自体がじつにさまざまな個性を持っていて
誤解を恐れずにいえば「みんなちがってみんないい」というのが火の見やぐらの世界観。
ということで、そのみんなちがってなんちゃらを見る側の視点に置き換えてみても、
ヤグラーの数だけその楽しみ方のパターンが存在するといっても過言ではないはず。
たとえば講師の方の場合は全体デザインのパターンによって類型分類されていて、
それぞれに第一発見ポイントの地名を型名に名付けるなど
ユニークな分類法を楽しんでいらっしゃる様子。
もっとも、類型をまとめるには火の見やぐらはあまりに個性があり過ぎるので、
現状の類型はゆうに30を超えているとのこと。
おそらくこれからも初見のデザインがどんどん増えていくでしょうけれど、
類型整理もけっこう苦労するのではないかと、他人事ながら心配にもなります。
なんにしても、氏はこれまでに500基近くの火の見やぐらを取材されているらしく、
地元だけでなく遠くは青森県まで行かれているところをみると
氏の火の見やぐらへの強い愛情がひしひしと感じられるというものです(^^)
また講座を終えたあとで挨拶かたがた立ち話をさせて頂いたのですが、
火の見やぐらは貴重な文化遺産だという氏の考えには同感するところ大でした。
講座のなかでは穂高町の黒部ダムやぐらも紹介して頂いたのが嬉しかったですね。
(これ↓)
(過去エントリー記事1.2013年9月2日)
(過去エントリー記事2.2014年3月9日)
今回の講座参加者はおそらく伊那市と周辺にお住まいの方が殆どだったでしょうが、
こうして各地で火の見やぐらに関する講座などが開催されることで
わずかずつでも一般市民への啓蒙が進んでくれればいいなと思った次第。
フェイスブックにて火の見やぐらの情報共有ページがあるということなので、
自分も参加して楽しませてもらうことにしました。
自分やU1教授が火の見やぐら講座を開いた際も受講参加者は多数でした。
どの地域でも火の見ヤグラーとその予備軍は相当数居るのかもしれませんね。
そんなことを感じさせてくれる、楽しい講座のひとときでした。
下の画像は講座からの帰り道、三州街道沿いで見かけた火の見やぐら。
火の用心のイルミネーション、ほっこりしますね。
摂津国一ノ宮、住吉大社 [狛犬・寺社(大阪府)]
大阪市住吉区住吉、住吉大社。
大阪のみならず全国規模で超有名な同社。
最近ではNHKの連ドラ「マッサン」のロケ地としても有名、
毎年の初詣には200万人規模の参拝客が訪れるというビッグな神社ですね。
いまさら詳しい解説をここでする必要もないと思いますが、いちおう簡単に概略のみ。
式内社の名神大、摂津国一ノ宮、二十二社の中七社、官幣大社、別表神社。
主祭神:
第一本宮:底筒男命 (そこつつのをのみこと)
第二本宮:中筒男命 (なかつつのをのみこと)
第三本宮:表筒男命 (うはつつのをのみこと)
第四本宮:息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)
四柱の神様を総称して住吉大神とされ、海の神様として信仰され、
とくに第一~第三は住吉三神と総称することもあります。
あと、詳しくは同社の公式HPにてどうぞ。
住吉大社HP
取材は大阪へ他の用事で出てきたついででした。
早朝の自由時間の合間に急いで駆けつけたので撮影し忘れも結構あった模様。
以下、撮影できた狛犬および境内の様子を順に紹介します。
同社は南海本線住吉大社駅の東側に鎮座しますが、
同駅西側の住吉公園入り口にあたるばしょに大きな狛犬が一対います。
狛犬は公園の内側に顔を向けて座っているのですが
神社そのものは画像の向こう側、南海の高架をくぐった先にあるのでこの据え方。
というか、住吉公園の通路そのものがすでに参道ということなのでしょうかね。
昭和52(1977)年10月復元の岡崎現代型。
情報によると、もともと同社大鳥居前に出雲丹後型の狛犬がいたそうですが、
それが昭和12年に住吉公園に移設されたものの、風化が激しくなりやむなく撤去、
その後あらためて現在の狛犬を奉献したのだそうです。
奉献主は(財)住吉名勝保存会。
台座はもとあった出雲丹後のものそのままの模様で、
「嘉永2己酉年4月吉日再建」とあります。
嘉永に再建ということは、その当時の出雲丹後の前にも狛犬が
いたということになるのでしょうかね。
住吉大社は数多くの燈篭が奉献されていることでも有名で、
同社HPによれば約600基存在するそうで、文化財指定されているものもあるようです。
参道沿いにも燈篭の解説案内板が用意されていました。
さて、ようやく境内に入ると早速鳥居前に狛犬一対。
昭和12(1937)年4月建立。
かなり大型の岡崎古代型。
石工は昭和初期の岡崎の石工、杉浦磯次郎。
上述の住吉公園にいる岡崎現代型の先代にあたる出雲がもといた場所というのが
この現在の岡崎古代型が今いる場所になるのだそうです。
ここから境内に足を進め、両側に絵馬殿。
そのすぐ先に浪速の名橋50選にも選ばれている反橋があり、
次の狛犬がそのたもとに鎮座しています。
元文元(1736)丙辰年6月吉日建立。
江戸中期の石造参道狛犬としては比較的大きめかなと思われます。
近世後期から近代にかけて見られる浪速型とは少し趣の異なるデザインという印象。
関西の狛犬研究の大家、小寺慶昭氏は浪速式住吉型狛犬と括っています。
彫ったのは男里屋市兵衛という堺の石工とのこと。
そしてこの狛犬たちをベースに類型の石造狛犬が制作されていったそうです。
吽形の頭にはしっかり角があります。
正面からみるとやや手前に前傾しているのが分かります。
石造参道狛犬のさきがけともいえる時代に作られたもののわりには
しっかりと作りこまれているというか、石工の腕の良さが感じられます。
一部では大阪府でもっとも古い参道狛犬との表現も見られるようですが、
現在参道にて見られる狛犬としては中央区の御霊神社の元和元(1615)年の狛犬がいます。
これはブロンズ製なので石造狛犬という括りでは別といえるかもしれませんが、
他の情報では西淀川区の田蓑神社にいる狛犬は元禄15(1702)年制作であるらしく、
同年代のものは私の知り限りではそれ以外に情報は出回っていない様子ですので、
府下では2番目に古い石造の参道狛犬という括りが適切な表現になるかもしれません。
それすら、甚だ不確定なものではありますが。
(田蓑神社のほうは参道というより本殿前にあるため参道狛犬の括りではないとする見解あり。
また年代に比して良好な状態からして元は神殿内に据えられていたのではないかとする
意見もあるようです。)
狛犬を過ぎ、淀君が寄進したという反橋を渡って珍しい角鳥居の正面に。
柱の断面が丸ではなく角形。
ありそうで、意外とあまり見かけないタイプなんですよね。
住吉大社の神使はウサギということで、手水舎の給水口もウサギさん。
境内奥に進むと、目の前に国宝の本殿4殿が堂々たち並んでいました。
国宝なのに間近で見られるのはいいですね。
とくに住吉造の神殿は普段あまり目にする機会がないので。
御文庫。
住吉大社は楠の巨木が有名ですね。
摂社の船玉神社の社殿前に狛犬が一対います。
文化13(1816)子年3月吉日建立。
ほぼ200歳になる子達はまだしっかりしていますが、
前脚に剥離やヒビが見られて今後がちょっと心配です。
吽形には角あり。
角というよりちょん髷に近いような、前後にやや長めかなと。
場所を移動していると、境内にある公衆電話ボックスに遭遇。
電話ボックス自体があまり見かけなくなってしまった昨今、
社殿を模したこのデザインは非常に貴重ではなかろうかと。
他の大きな神社とかでもこんな感じのがあるんですかね?
自分は見たのは初めてです。
境内の北西入口にあたる場所、鳥居前にいるのは陶器製狛犬。
岡山備前焼の狛犬ですが、備前の子はだいたい顔つきや体格も
似通った感じになりますね。陶器製では仕方ない面もありますが。
台座には「慶應二季年丙寅正月」の文字が記されていますが、
本体には「明治2年己巳8月」とあります。
本体より台座のほうが年代が古いというと、どう解釈すればいいのか。
台座だけ幕末に設け、本体の制作が遅れたため明治になってしまった、
ということも、幕末の動乱のさなかということで考えられなくもないですが。
あるいは慶應2年の時点で奉献されていた別の狛犬が
なんらかの事情で無くなってしまい、代わりに現在の子たちが奉献されたか。
しかし台座に見られる奉献主には「備前岡山有志」の文字も見られますし、
最初からこの子たちが奉献されていたとするのが自然な感じもします。
やはり台座制作と本体完成設置にタイムラグがあったするのが正解かもしれません。
住吉大社は大きいのでいくつもの入口があり、
西側の阪堺線が走る街道に面した鳥居の前にも一対。
自分としては久しぶりに見る東大寺型です。
建立年について、台座の銘文にこんなのがありました。
「明治廿九(1896)年二月吉日
寄附 船主
五世 廣瀬二三郎應晴
昭和十八(1943)年二月吉日
銅鐡獻納ノ為石彫ヲ以テ再建
六世 廣瀬二三郎應敬」
つまり明治期にブロンズの狛犬を奉献したものの、
戦時の金属供出で失ってしまったので、代わりに石造で再奉献したという話の模様。
この狛犬についてはComa-たんさく人さんのサイト“探訪狛犬発信奈良から”によれば
もとは本殿前に先代の狛犬が据えられていた様子です。
供出された折に改めて現在地に二代目が据えられたのか、
あるいは先代の時点ですでに現在地に移設されていたのかは分かりませんが、
狛犬にも歴史あり、の興味深い一例ですね。
で、時間もそろそろなくなってきたので滞在先のホテルに戻ろうとしたところ、
大通りから伸びる裏路地の突き当たりに狛犬の姿が見えてしまったのでw
制限時間無視して慌てて行ってみることに。
住吉大社の摂社、大海神社の狛犬でした。
神社のご祭神は豊玉彦命と豊玉姫命。
拝殿は重要文化財指定。
文化7(1810)庚年4月吉日建立。
海の神様の社ということで、やはり奉献主も備中惣舩中となっています。
200年以上前の砂岩製ということで風化による損傷が目立つのが残念です。
以上、今回取材した住吉大社の狛犬たちの様子でした。
ほかに木造の神殿狛犬が居るなど取材漏れもけっこうあった模様。
回りきれなかった摂末社も多いので、またいつか大阪に出ることがあれば
時間をつくって立ち寄れればと思います。
それでもやたらと長いエントリー記事になってしまいましたがw
(取材日:2014年12月13日)
大阪のみならず全国規模で超有名な同社。
最近ではNHKの連ドラ「マッサン」のロケ地としても有名、
毎年の初詣には200万人規模の参拝客が訪れるというビッグな神社ですね。
いまさら詳しい解説をここでする必要もないと思いますが、いちおう簡単に概略のみ。
式内社の名神大、摂津国一ノ宮、二十二社の中七社、官幣大社、別表神社。
主祭神:
第一本宮:底筒男命 (そこつつのをのみこと)
第二本宮:中筒男命 (なかつつのをのみこと)
第三本宮:表筒男命 (うはつつのをのみこと)
第四本宮:息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)
四柱の神様を総称して住吉大神とされ、海の神様として信仰され、
とくに第一~第三は住吉三神と総称することもあります。
あと、詳しくは同社の公式HPにてどうぞ。
住吉大社HP
取材は大阪へ他の用事で出てきたついででした。
早朝の自由時間の合間に急いで駆けつけたので撮影し忘れも結構あった模様。
以下、撮影できた狛犬および境内の様子を順に紹介します。
同社は南海本線住吉大社駅の東側に鎮座しますが、
同駅西側の住吉公園入り口にあたるばしょに大きな狛犬が一対います。
狛犬は公園の内側に顔を向けて座っているのですが
神社そのものは画像の向こう側、南海の高架をくぐった先にあるのでこの据え方。
というか、住吉公園の通路そのものがすでに参道ということなのでしょうかね。
昭和52(1977)年10月復元の岡崎現代型。
情報によると、もともと同社大鳥居前に出雲丹後型の狛犬がいたそうですが、
それが昭和12年に住吉公園に移設されたものの、風化が激しくなりやむなく撤去、
その後あらためて現在の狛犬を奉献したのだそうです。
奉献主は(財)住吉名勝保存会。
台座はもとあった出雲丹後のものそのままの模様で、
「嘉永2己酉年4月吉日再建」とあります。
嘉永に再建ということは、その当時の出雲丹後の前にも狛犬が
いたということになるのでしょうかね。
住吉大社は数多くの燈篭が奉献されていることでも有名で、
同社HPによれば約600基存在するそうで、文化財指定されているものもあるようです。
参道沿いにも燈篭の解説案内板が用意されていました。
さて、ようやく境内に入ると早速鳥居前に狛犬一対。
昭和12(1937)年4月建立。
かなり大型の岡崎古代型。
石工は昭和初期の岡崎の石工、杉浦磯次郎。
上述の住吉公園にいる岡崎現代型の先代にあたる出雲がもといた場所というのが
この現在の岡崎古代型が今いる場所になるのだそうです。
ここから境内に足を進め、両側に絵馬殿。
そのすぐ先に浪速の名橋50選にも選ばれている反橋があり、
次の狛犬がそのたもとに鎮座しています。
元文元(1736)丙辰年6月吉日建立。
江戸中期の石造参道狛犬としては比較的大きめかなと思われます。
近世後期から近代にかけて見られる浪速型とは少し趣の異なるデザインという印象。
関西の狛犬研究の大家、小寺慶昭氏は浪速式住吉型狛犬と括っています。
彫ったのは男里屋市兵衛という堺の石工とのこと。
そしてこの狛犬たちをベースに類型の石造狛犬が制作されていったそうです。
吽形の頭にはしっかり角があります。
正面からみるとやや手前に前傾しているのが分かります。
石造参道狛犬のさきがけともいえる時代に作られたもののわりには
しっかりと作りこまれているというか、石工の腕の良さが感じられます。
一部では大阪府でもっとも古い参道狛犬との表現も見られるようですが、
現在参道にて見られる狛犬としては中央区の御霊神社の元和元(1615)年の狛犬がいます。
これはブロンズ製なので石造狛犬という括りでは別といえるかもしれませんが、
他の情報では西淀川区の田蓑神社にいる狛犬は元禄15(1702)年制作であるらしく、
同年代のものは私の知り限りではそれ以外に情報は出回っていない様子ですので、
府下では2番目に古い石造の参道狛犬という括りが適切な表現になるかもしれません。
それすら、甚だ不確定なものではありますが。
(田蓑神社のほうは参道というより本殿前にあるため参道狛犬の括りではないとする見解あり。
また年代に比して良好な状態からして元は神殿内に据えられていたのではないかとする
意見もあるようです。)
狛犬を過ぎ、淀君が寄進したという反橋を渡って珍しい角鳥居の正面に。
柱の断面が丸ではなく角形。
ありそうで、意外とあまり見かけないタイプなんですよね。
住吉大社の神使はウサギということで、手水舎の給水口もウサギさん。
境内奥に進むと、目の前に国宝の本殿4殿が堂々たち並んでいました。
国宝なのに間近で見られるのはいいですね。
とくに住吉造の神殿は普段あまり目にする機会がないので。
御文庫。
住吉大社は楠の巨木が有名ですね。
摂社の船玉神社の社殿前に狛犬が一対います。
文化13(1816)子年3月吉日建立。
ほぼ200歳になる子達はまだしっかりしていますが、
前脚に剥離やヒビが見られて今後がちょっと心配です。
吽形には角あり。
角というよりちょん髷に近いような、前後にやや長めかなと。
場所を移動していると、境内にある公衆電話ボックスに遭遇。
電話ボックス自体があまり見かけなくなってしまった昨今、
社殿を模したこのデザインは非常に貴重ではなかろうかと。
他の大きな神社とかでもこんな感じのがあるんですかね?
自分は見たのは初めてです。
境内の北西入口にあたる場所、鳥居前にいるのは陶器製狛犬。
岡山備前焼の狛犬ですが、備前の子はだいたい顔つきや体格も
似通った感じになりますね。陶器製では仕方ない面もありますが。
台座には「慶應二季年丙寅正月」の文字が記されていますが、
本体には「明治2年己巳8月」とあります。
本体より台座のほうが年代が古いというと、どう解釈すればいいのか。
台座だけ幕末に設け、本体の制作が遅れたため明治になってしまった、
ということも、幕末の動乱のさなかということで考えられなくもないですが。
あるいは慶應2年の時点で奉献されていた別の狛犬が
なんらかの事情で無くなってしまい、代わりに現在の子たちが奉献されたか。
しかし台座に見られる奉献主には「備前岡山有志」の文字も見られますし、
最初からこの子たちが奉献されていたとするのが自然な感じもします。
やはり台座制作と本体完成設置にタイムラグがあったするのが正解かもしれません。
住吉大社は大きいのでいくつもの入口があり、
西側の阪堺線が走る街道に面した鳥居の前にも一対。
自分としては久しぶりに見る東大寺型です。
建立年について、台座の銘文にこんなのがありました。
「明治廿九(1896)年二月吉日
寄附 船主
五世 廣瀬二三郎應晴
昭和十八(1943)年二月吉日
銅鐡獻納ノ為石彫ヲ以テ再建
六世 廣瀬二三郎應敬」
つまり明治期にブロンズの狛犬を奉献したものの、
戦時の金属供出で失ってしまったので、代わりに石造で再奉献したという話の模様。
この狛犬についてはComa-たんさく人さんのサイト“探訪狛犬発信奈良から”によれば
もとは本殿前に先代の狛犬が据えられていた様子です。
供出された折に改めて現在地に二代目が据えられたのか、
あるいは先代の時点ですでに現在地に移設されていたのかは分かりませんが、
狛犬にも歴史あり、の興味深い一例ですね。
で、時間もそろそろなくなってきたので滞在先のホテルに戻ろうとしたところ、
大通りから伸びる裏路地の突き当たりに狛犬の姿が見えてしまったのでw
制限時間無視して慌てて行ってみることに。
住吉大社の摂社、大海神社の狛犬でした。
神社のご祭神は豊玉彦命と豊玉姫命。
拝殿は重要文化財指定。
文化7(1810)庚年4月吉日建立。
海の神様の社ということで、やはり奉献主も備中惣舩中となっています。
200年以上前の砂岩製ということで風化による損傷が目立つのが残念です。
以上、今回取材した住吉大社の狛犬たちの様子でした。
ほかに木造の神殿狛犬が居るなど取材漏れもけっこうあった模様。
回りきれなかった摂末社も多いので、またいつか大阪に出ることがあれば
時間をつくって立ち寄れればと思います。
それでもやたらと長いエントリー記事になってしまいましたがw
(取材日:2014年12月13日)