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取り残された火の見やぐらの台柱、続報 [火の見櫓(安曇野市)]

今年の1月にエントリーした記事、「取り残された火の見やぐらの台柱」。
かつて火の見やぐらの脚部を固定するために用いられた石の柱が、
3本あったうち1本のみとなってしまっていた、というような話でした。
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上の写真左が台柱撤去ビフォア、右はアフター。

道路工事かなにかの影響で撤去されたのであろう2本は
工事業者がそのまま持ち出して処分してしまったのだろうと推測していたのです、、、が。

じつは今日、ひょんなことから残りの2本を見つけてしまいまして。
それが、こちら。
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お分かりいただけただろうか?(←なぜか心霊特番ナレーション風w)

ここは同じ市内の同じ地区内、牧地区荒神堂集会所。
その門柱としてなんと再利用されていたのでした。

集会所はもとあった場所から西へ150メートルほど行った目と鼻の先。
しょっちゅう通っている道なのに、ぜんぜん気づきませんでした。

片方の柱には、たしかに“穂高町消防団”の文字が。
もう片方にはもともとなにも刻まれていなかったようです。
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もともとあった場所よりもいくらか高めに据えられている様子です。
火の見やぐらの台柱としてならある程度の深さが必要であったでしょうが、
門柱で支えるものがなく、倒壊の心配がない程度に埋設は浅く出来るでしょうから、
門柱らしくなるべく背を高く立派に据えたのかもしれません。

火の見ヤグラーとしては元の場所に3本並んで立っているのが理想でありますが、
必要から単純に撤去処分にしてしまわず、このように地域の集会所の門柱として
再活用をしてくれているのも、これはこれでほっこりします。

御影石を門柱に使用した施設や民家は安曇野に数多く存在しますが、
火の見やぐらを支えていた柱を利用したというのはなかなかないでしょう。
ただの門柱としてではなく、地域防災、地域づくりのシンボルタワーでもあった
火の見やぐらの存在を後世に伝える遺構として、大切に残されて欲しいものです。

(取材日:2015年8月6日)



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元号的に希少な万延年間の狛犬 [狛犬・寺社(北安曇郡)]

長野県北安曇郡池田町、会染の宇佐八幡宮。
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長野県神社庁のHPによると、創建は建久年間(1190~1199)で
豊前国の宇佐八幡宮より勧請を受けて産土神としたと伝えられているそうです。

ご祭神は誉田別命と建御名方命。

同社の取材はずいぶん前で、2011年12月。画像はうっすら雪化粧。

じつはU1教授がブログで万延2年建立の道祖神について記事をアップされたのを見て、
そういえば宇佐八幡の狛犬も万延の制作だったなあと、ふと思い出しまして。
で、そういえば記事にするのをすっかり忘れていたなぁ、ということもふと思い出し(^^;
最近通りがかった折に眺めた境内の様子は取材当時から変化していなさそうだったので、
再取材はせずそのまま当時の画像を使用してお送りしたいと思います。

同社は池田町役場のあたりから約2キロほど南下した田園地帯に
この付近では珍しく西面して鎮座しています。

鳥居はさほど大きくないですが、明るい朱塗りが印象的。
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鳥居をくぐると柵に囲われた石灯籠が目に付きますが、
これは万延2年正月吉日と刻まれています。(たぶん、正月だと思われる。)
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このあと紹介する狛犬と並び、これもまた元号として貴重な存在かも。

境内まんなかに大きな神楽殿。
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拝殿と一間社流造の本殿。
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境内の一角に拝殿の新築記念碑と再新築記念碑が並立しています。
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県神社庁HPの解説によれば大正14年(1925)と昭和4年(1929)に
社殿が焼失し再建されたとありますので、
おそらくはそのことを記念する石碑なのでしょう。

石碑に並んで境内社の神様たち。
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高良神社。天照皇大神宮、鹿島神社、山之神神社、金比羅神社、
津島神社、天満宮神社、大巳貴命、少名彦命、柏木神社。

石神石仏も勢ぞろい。
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御嶽大神と如意輪観音。
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青面金剛×2。
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道祖神×2。
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養蚕大神と二十三夜塔。
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そして狛犬たちは拝殿の前に一対。
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建立年は『万延元申年(1860)八月吉(辰?)』。
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万延は1860年4月から1861年3月までの一年足らずの短い元号でした。
よって国内どの地域でも万延時代に出来た文化財などの類は
おそらく数の上で非常に珍しい存在ではなかろうかと思われるので、
この狛犬たちも例に漏れずけっこう珍しいものと言ってもいいかもしれません。

そしてデザインにも注目。
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まず非常にユニークな面立ち。
赤塚冨士夫の漫画に登場しそうな顔つきじゃないですか?
まんまるい輪郭におかっぱのような髪型、というかたてがみ。
憎めない表情をしています。

ところで幕末といえば少しずつ狛犬の数も全国的には増え始めた時期とはいえ、
それでもここ信州松本平一円ではまだまだ数えるほどしか奉献された例がなく、
近在で最も古いのは明和6年(1769)建立の穂高神社の狛犬。
宇佐八幡宮の子たちはこの穂高神社の狛犬たちを参考に
彫られたのではないだろうかというのが自分なりの推測だったりします。
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顔つきは大きく異なるものの、体全体の大きさがほぼ同じ程度。
寸胴のボディラインも共通しており、なにより前脚の股が彫り抜かれていないのが特徴。
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股や腹部の彫り抜きがないのは江戸前中期の狛犬に時折見かける姿だと思うのですが、
穂高神社の子たちは江戸で制作されて手車に乗せて運ばれてきた事実があり、
股の彫り抜きがないのはとくに運搬中の破損リスク軽減を図った意味が強いのではと
推測することもできるだろうと考えています。

いっぽうの宇佐八幡の子たちの素材はおそらく地元で産出された御影石。
とくに運搬リスクという点をさほど考慮せずともよかったと思われますし、
またたてがみのデザインが阿吽で異なっている点などを加味してみると、
やはりこれは石造狛犬として近在で参考に出来る唯一の存在と言ってよい
穂高神社の狛犬を、模倣というほどではないにしても少なからず参考には
していたであろういうのも的外れな見解ではないと思っているのですが。

顔つきがあまりに違うこともあるので、その他のイメージで
たまたま似たように思えてしまっているだけかもしれませんが、
はてさて真実はどうなのでしょうね?

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宇佐八幡宮、境内もゆったりとしたところで、
目の前には田園風景が広がり、開放的な神社です。
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(取材日:2011年12月28日)




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商家と土蔵に挟まれ、消防倉庫の上に立つ [火の見櫓(下高井郡)]

長野県下高井郡山ノ内町平穏、沓野の火の見やぐら。
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前エントリーの天川神社より西に向かって下る旧道(?)沿いに立っています。
細い道の両側は古い民家や商家、土蔵などが建ち並び、
さながらどこぞの宿場町にも似たような雰囲気があり、
なかなかいい感じの町並みに火の見やぐらもマッチングしています。
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今でこそ近所に空き地も散見されている現状ですが、
おそらくこのやぐらが出来た当時は建設できる余裕のある土地がなかったのでしょう。
間口が一間半もないような小さな消防倉庫の屋根の上に乗っかるように建てられています。
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消防倉庫の内部を覗いてみると、なかなかレトロなホース車があったり。
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やぐらの構造はいたってシンプルで、スッキリしたデザインです。
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やぐら自体は決して高層ではないものの、一段高い屋根上にあることと
町並みが坂になっていることから、高さの割には見通しはよさそうです。

山火事防止の幕とも相性よくて。
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街路の先に見えるのは、、、妙高山?
意図的か偶然か、山留めになっている街路は好きです。
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いつまで残ってくれるか、末永く地域のシンボルタワーであり続けて欲しいものです。

(取材日:2015年5月4日)



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渋温泉の御柱が立つ神社

長野県下高井郡山ノ内町、平穏の天川神社。
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湯田中渋温泉郷の渋温泉の外れに鎮座する神社で、
諏訪系ということで境内には御柱も立っています。

最新の御柱祭は2010年に執り行われたらしく、次回は2016年。
温泉街の中心エリアから御柱を曳かれる様子を見ることが出来るそうです。
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ご祭神は健御名方命ほか、おおぜいの神様たち。

境内の様子ですが、なぜか拝殿の写真撮影をすっかりド忘れ。

本殿はこちら。
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秋葉山と大山祇命。
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神輿殿と神楽殿。
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狛犬は境内の参道途中に一対。
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岡崎現代型。
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建立:「昭和10年(1935)9月」
石工:「長野市 石匠 内田島吉」
寄進人:「東京市 兒玉彦治」

長野市の石工さん名がありますが、狛犬は手配だけして
現地での施工を請け負ったということですね。
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ありがちな岡崎型ですが、諏訪梶の彫られた台座とセットになっているのも
“信州の岡崎型”としてのありがちな組み合わせですかね。
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(取材日:2015年5月4日)




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梶の葉と真田六文銭 [狛犬・寺社(長野市)]

このところまともな休日が確保できなくてゆったりと新規(神社)の取材が出来ずにいるのですが、
それでも5月から6月にかけて、幾度か北信方面に仕事で出かけた折に
その所用の前後に時間を少し確保して、火の見やぐら神社の取材に奔走しました。
このところずっと続いている北信シリーズがまさにその取材報告なわけですが。。。

長野市平林、安達神社。
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コンビニストアに隣接している鎮守の杜という、
ミスマッチというか現代的というか、、、な境内周辺の様子。
場所は善光寺方面からまっすぐ東へ向かう国道406号線沿いになります。

実際のところ、当初から取材する目的があったわけではなく、
コンビニに用があったので車を停めたところ、
たまたま隣が神社だったので、じゃあついでに、、、となった次第。

境内入口すぐの鳥居。
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その両部鳥居のすぐ左右に鎮座する岡崎現代型。
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昭和29年5月建立。
石工名は彫られていませんでした。

いわゆる「あちこちに居る子」ということと、
社殿で氏子さんたちが大勢集まってなにやら会合しておられ、
ちょっと気持ちが落ち着かなかったので写真はこれだけ。

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現地には由緒書きがなくて取材時点で祭神は不明でしたが、
神紋が梶だったので諏訪系の建御名方命だろうと思いこんでいたところ、
それは間違いではなかったですが、主祭神として五十猛命の名が挙げられていました。
あと、譽田分命を含めて三柱の神様だそうです。
ネットに出回る情報ではこのほか、木花咲屋姫命 を加えているところもあります。
さて、どの情報が正しいのでしょう?

本殿はこちら。
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やはり瓦葺ですね。

摂社の白鳥社、、、だったかな?
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六文銭の幕が印象的です。
六文銭といえば、来年の大河ドラマで脚光を浴びる(予定の)真田家の家紋。
その真田家の御城下だった同じ市内の松代に真田家が崇敬した白鳥神社があるので、
もしかするとそこからの勧請かもしれません。違うかもしれませんが。

皇大神宮の社殿前にはもう一対の小ぶりな狛犬たちがいました。
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こちらは子取り玉取り。

台座に「昭和62年9月吉日 竣工記念」とあります。
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なんの竣工記念なのか?
まあ普通に考えれば、こちらの皇大神宮の社殿完成が、
ということなのでしょうが、これだけでは余所者にはよく分かりませんね。

市街地の一角ということで境内はさほど広くはなかったですが、
とてもすっきりして氏子さんたちがきれいに整備されている様子でした。
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(取材日:2015年5月4日)



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善光寺三鎮守、妻科神社 [狛犬・寺社(長野市)]

長野市南長野、妻科の妻科神社。
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湯福神社、武井神社と並ぶ善光寺三鎮守の一社。
場所は善光寺から見て南西の方角にあり、
長野県庁本庁舎の北側の閑静な住宅街の一角に在ります。

創建年は不明ながらも、情報によれば善光寺開山より歴史が古いとされる古社で、
延喜式における式内社であり、旧社格においては県社となります。

ご祭神は八坂刀売命。
相殿として建御名方命と彦神別命。
湯福神社や武井神社同様に諏訪大社系の神社ですが、
ここでは旦那様ではなく奥方が主祭神として祀られているようですね。

木造の両部鳥居をくぐって境内へ。
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一段高いところにたつ拝殿。
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そのさらにもう一段、高台に建っているのが本殿。
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下からだと見えづらく、横に回ってみましたが、、、あまり代わり映えせず。

拝殿向かって右側には天神社。
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覆い屋かと思って近付いてみると、これ自体が神殿でした。

失礼ながら内部を拝観すると、真ん中に菅公と思しき人物の像。
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そしてその両脇には木造と思しき狛犬が一対。
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いかんせん内部は暗すぎて、フラッシュを焚いてもこの程度でブレまくり。

拝殿前に戻ると、両脇手前には御柱。
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諏訪系の神社独特の世界ではありますが、
安曇野では普段見かけないのですよね、御柱って。
なのでこうして諏訪大社以外で御柱を目にすると新鮮な感覚になります。

こちらは昭和6年4月14日建立、県社昇格記念の灯篭(?)。
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ケヤキの大木が多いのはありがちな話ですが、
それぞれに名札のようなものが取り付けられているのが不思議。
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氏子の町内ごとの神輿庫。
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社務所かと思ったら地区の公民館で。
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社務所はこちらでした。
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さて、狛犬たちは参道入口の鳥居前両脇に居まして。
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居たのは、いかにもといった感じの岡崎現代型。
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建立年ですが、阿形の台座には「大正9年(1920)秋 御柱祭記念」とあります。
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一方で吽形の台座には「大正10年 9月建設」とあります。
御柱祭に合わせて奉献しようとしたところ、ことのほか設置まで時間がかかり、
けっきょく一年越しになってしまった、、、といった感じなのでしょうかね? よく知りませんが。

多数の奉献者氏名のほか、石工名も確認できました。
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「岡崎 酒井孫兵エ 刻」
前エントリー記事の武井神社に引き続き2対目の酒井孫兵衛。
どうして「衛」だけがカタカナで「エ」なのだろうか?

武井神社は大正15年でしたので、こちら妻科神社のほうが年長さん。
デザインは子取り玉取りなのが大きく異なりますが、(←※)
基本的な容姿はほぼ一緒ですね、当たり前ですが。
ただ、細かな(毛並みとか)部分を見てみると、若干の違いが感じられます。
(※なにをトチ狂ったか、武井神社も子取り玉取りのデザインでした。失礼しましたm(__)m)
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今回は仕事で遠征したついでの早朝6時頃の訪問で時間的余裕がない取材でしたが、
岡崎現代型でもスルーせずにしっかり観察して各地のものを比較してみると
いろいろ見えてくるものがあって、これはこれで楽しそうですね。
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(取材日:2015年6月16日)



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善光寺三鎮守、武井神社 [狛犬・寺社(長野市)]

長野市長野東町、武井神社。
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ふたつ前のエントリー記事の湯福神社と同様、
善光寺七社であり、そして善光寺の三鎮守の神様です。
湯福神社が善光寺西側一帯の町内を氏子としているのに対し、
この武井神社は東側の19町を氏子にしているとのことです。

由緒書きはこちら↓。
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ご祭神は健御名方神。
相殿神に前八坂刀売神と彦神別神の二柱。
ということで、境内には御柱がズンと立っています。
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数年前に建て替え工事を行ったらしい、まだ真新しい拝殿の内部に神殿狛犬が一対。
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阿形に角、吽形に宝珠が、それぞれの頭に備わっています。
近付いて見られないので年代は不明ですが、そう古い時代のものではなさそう。
でもしっかりと彫り込まれていていい感じです。

本殿。
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氏子会館(?)。
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そして社務所。
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拝殿本殿その他建築物はみな瓦葺なのは
やはり善光寺というお寺の鎮守という性格からでしょうか。

境内の摂末社。

猿田彦神と松尾社。
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稲荷社。
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その稲荷社の隣に写っている社殿は天神社、三峯社、金比羅社。
うっかり写真を撮り忘れ。

雷電の力石なるものもありました。
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そして参道狛犬はこちら。
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典型的な岡崎現代型。
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大正15年(1926)5月建設。
一方の台座には大正丙寅年御柱祭記念とあります。
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建設委員の名前が列挙されている一方で石工名もありました。
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岡崎 酒井孫兵衛 刻。

酒井孫兵衛は岡崎石工のなかで最も有名といっていい名跡で
岡崎現代型のデザインを開発確立させた、当時の岡崎を代表する石工ですが、
たぶん自分は酒井孫兵衛の作品を直接目にしたのはこれが初めてだと思います。
(記憶違いでなければ)

自分は岡崎現代型についてこれまで石工ごとの特長とか
そうした細かいこだわりを持たずに、ぶっちゃけスルーに近い状況だったのですが、
少しずつその微細な違いや特徴などに気が向くようになってきました。
といっても、どこがどう異なるのか、石工ごとの特徴がどんなものなのか、
これといって語れるほどのものはまだ持つに至っていないのですが。
(大陸から輸入されている“なんちゃって岡崎”に興味が向かないのは相変わらずですし。)
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なんにせよ、酒井孫兵衛作との(たぶん)初対面だった武井神社。
印象に残る神社でした。
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(取材日:2015年5月4日)




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日枝神社の御旅所にいる狛犬 [狛犬・寺社(東京都)]

東京都中央区日本橋、茅場町の日枝神社日本橋摂社。
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今日、たまたま東京有楽町にて日帰り出張があり、
昼休みの束の間を利用してどうにか同社を訪問取材してきました。
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東京証券取引所にも程近い、オフィスビル街の真っ只中に境内はあります。

永田町の日枝神社の境外摂社。
創建は天正18年(1590)で、情報によれば
日枝神社の八丁堀北嶋祓所まで神輿が船で神幸したことに始まるとされています。
後年には同社地が御旅所に定まり、明治10年(1877)に現在の日枝神社に改称。
大正4年に日枝神社本社の境外摂社に定まり、現在に至っています。

参道途中から振り返るとこんな感じ。
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参道を抜けて鳥居をくぐると社号標。
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手水舎。
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拝殿と本殿。
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社務所。
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狛犬は鳥居をくぐったすぐその足元に鎮座していました。
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裏書は年代と制作者氏名が。
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「昭和9年(1934)6月 駒込肴町 酒井八右衛門」
「石匠 水道橋 野村保太郎」

井亀泉(せいきせん)一門の仕事です。
昭和9年の酒井八右衛門は三代目の名跡で、
これと石工の野村保太郎がコンビで名を彫られているのは
この前年、昭和8年制作の神田明神の狛犬が有名ですね。
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野村保太郎は昭和初期に活躍した東京の石工ですが、
彼の作品では野村保泉の名義でも狛犬が制作されています。
安曇野の穂高神社にいる昭和15年の大型の狛犬も
その名義は野村保泉とされています。
この使い分けについて、明確に記されたものを自分はまだ確認していません。
以前のエントリー記事で、石材店のチームとして制作した作品については保泉名義で、
保太郎本人が直接彫る時には野村保太郎の本名が使われたのでは?
などと書いたこともあったのですが、あるいはそうではなくて
石材店として酒井八右衛門が関与する作品については
保太郎の本名にて請けるというふうに決めていたのかもしれません。
もちろん、これらは推測なので真実をご存知の方がいればぜひ情報をお寄せください。
お待ちしております。

狛犬のデザインはいわゆる招魂社系になるかと思いますが、
飾帯を付けている様子などから東大寺型に近いものといえるかもしれません。
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もっとも、首を思いっきり後方に傾げて天を仰ぎ見る姿はちょっと珍しいですね。
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そんなわけで残念ながら表情をしっかりと観察することは難しいのですが、
目玉の黒目になる部分も明確に彫り込まれているあたり、丁寧な仕事といえると思います。

境内には稲荷社があり、狐さんもいました。
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大都会のビルに囲まれた境内は決して広くはないですが、
とても清潔に整えられた様子で、狛犬たちもしっかり存在感を示していて
いい雰囲気を感じられました。
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(取材日:2015年6月20日)



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善光寺三鎮守、湯福神社 [狛犬・寺社(長野市)]

このところ火の見やぐらの更新ばかりだったので、久しぶりに狛犬をば。

長野市箱清水、湯福神社。
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善光寺の西に鎮座する同社は善光寺の守護神である善光寺七社の一社。
さらに善光寺三鎮守とも呼ばれており、創建年は定かではないですが、
持統天皇5年(691)に風鎮祭の神として、奈良の龍田大神、諏訪大神、
地元の水内大神の三社を勅祭したと記録があるそうです。

ご祭神は健御名方命の荒御魂(あらみたま)。

善光寺表参道の西側一体の15町を氏子としていて、
境内由緒書き看板の裏側にその町名が記されています。
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一の鳥居と二の鳥居。
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両鳥居の合間には小川が流れていて、なかなかにいい雰囲気です。
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同社は境内に立つ天然記念物のケヤキが有名らしく、
なるほど立派なケヤキの古木が立ち並んでいました。
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拝殿はそのケヤキの大木の間を抜けた先。
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鈴ではなく鰐口が吊られているのは、やはり善光寺に縁あるところからでしょうか。
御神紋は諏訪大社同様に梶の葉です。

本殿は彫り物が立派で、本殿向かって右側の水神様と
並んでいる建物に神輿が祀られています。
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本殿向かって左側には社務所。
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そして拝殿手前には善光廟が。
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これは善光寺の開祖といわれる本田善光の廟で、
なかには善光の墓とされる大石が祀られていました。

さて、狛犬ですが。
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境内正面入り口の両脇、一の鳥居の手前に鎮座。

大正11年(1922)10月建立。
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台座には長野市元善町という地名とともに寄付人の名前が。
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同じ阿吽ともに武井姓。親子かなにかでしょうかね。

尾が足座に流れる様子など全体の雰囲気は江戸型狛犬の特徴を持っていますが、
表情は穏やかというか、笑みを浮かべているような感じにも見えます。
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阿吽ともに折れ耳ですが、阿形の片耳が欠損しているようで残念。
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また阿形の足元には子獅子がいるのですが、
こちらはなんと頭がごっそり欠けてしまっています。
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じつはこの状態は同社を取材する前から知っていたのですが、
事前に得た情報ではこの欠けた頭部の変わりに
手書きで顔を描いた小石を据えていた画像を見かけました。
今回の訪問でそのユニークな子獅子と会えることを楽しみにしていたのですが、
その小石の顔もまた欠損してしまったのでしょうか。残念です。
ちなみにその小石の顔は神社の向かいにあるクリーニング屋の店長が
書いたものだったそうです。

吽形の足元は玉。イメージは鞠ですね。
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長野市内の狛犬は岡崎現代型の所在率が非常に高い印象があります。
安曇野を含む松本地方でも、もちろん岡崎型をよく見かけるのですが、
それでも松本エリアではオリジナルデザインの子もけっこういて、
年代的にも江戸期制作という狛犬も少数ながら存在します。
そういう意味では松本より以上に善光寺平においては
狛犬文化の流入が遅かったといえるかもしれませんし、
逆に言えばこの湯福神社の子達はけっこう貴重な存在となりますね。

まあとにかくここは善光寺のお膝元。
ご開帳で賑わう有名寺の守護を務めるというだけでも、
同社の貴重さはじゅうぶんなものといえるわけですが。
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(取材日:2015年5月4日)



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半鐘叩き装置付き火の見やぐら [火の見櫓(須坂市)]

長野県須坂市須坂、本上町の火の見やぐら。
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須坂市街にあり、お隣が保育園といった立地。
閑静な住宅街といった感じで、道路向かいには
須坂市消防団第二分団一部機械器具置場があります。
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スタイルは4脚注、8角形屋根&丸型見張り台。
同地方の標準モデルですが、ブレースは上下異形状ではなく
全段でリング式ターンバックルが使用されています。

銘板あり。
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「鉄骨建築 警鐘ロー
 高田鉄工所
 上田市 川原新町
 TEL 上田730」

地元ではなく高山村の赤和地区で見た火の見やぐらと同じ鉄工所ですね。
まったく同一の銘板を利用しているようで、警鐘”ロー”の文字も一緒。

で、ここの火の見やぐらで注目なのはそんな銘板よりも半鐘のこと。
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見張り台にまだしっかり半鐘が装備されているのですが、
よく見ると半鐘叩き装置が装着されているのがわかります。
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これは地元で近年になって新たに開発された装置。
以前、ヤグラー師匠のU1教授がこの装置の情報を入手されたことがあり
自身のブログで紹介されていたのを見て、自分も初めてその存在を知りました。

ネットで検索をかけるとこんな紹介記事があったのでリンクを張らせてもらいます。
須坂市HP内のページ(別ウィンドウでPDF表示されます)

地上操作型半鐘叩き装置というようです。
高齢化や冬季などの昇降の危険などを考慮して
消防団から消防本部に要望があり、依頼を受けた市内の業者が開発。
(有)中沢製作所と須坂市産業連携開発課がコラボレーションし、
須坂市地域研究開発促進事業を活用し開発したとのこと。

要領としてはやぐら直下に下ろされたロープを引っ張り動かすと
装置に取り付けられた木槌が半鐘を叩いて、人が直接叩くのと
同じように音を鳴らすことができるのだそうです。
半鐘の音色から想像される打鐘のイメージとはちょっとかけ離れますが、
現代の消防団事情などを考えるとある意味画期的なことだとも言えるでしょう。
なにしろ消防団も山間部を中心に高齢化も進んでいて
梯子の昇降だけでも危険な度合いが増してきているとききますし、
そういうハンデを背負った消防活動に多少なりともサポートできるのであれば
こうした装置は非常に有用ではないかと思えます。

なにより杓子定規に火の見やぐらを時代遅れと片付けてしまうことなく、
防災無線やスピーカーだけに頼ろうとはせず、
半鐘の有効性を認めた地元自治体と消防団関係者に敬意を表します。

こうした取り組みが地域住民の火の見やぐらへの関心を高め
その存在意義を改めて見直す契機になってくれればと思います。
安曇野でもこの装置、採用する動きが出てきたりしないものかなと。。。
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(取材日:2015年5月4日)



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