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狐島の火の見櫓 [火の見櫓(安曇野市)]

安曇野市穂高北穂高、狐島の火の見櫓。
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錆が強いですが、プロポーションは悪くない櫓です。
しいて言えば、首がもうちょっと細くてもいいかなと。

見張り台の半鐘が屋根の軒先より半分はみ出しているため、
外側のほうが錆も強くなってしまっています。
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足元、アーチが余所に比べて付け根まで伸びているので
ばらんすがよく見えます。
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無難ですが、、、やっぱり錆つきがきになります。
そのうち屋根に穴が開いてしまわなければいいのですが。

(撮影日:2013年1月10日)


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タグ:火の見櫓

鳥居をくぐり抜けると電車に轢かれます [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市明科、中川手の犀宮社。
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創建年は不詳。
東筑摩郡誌によれば、ご祭神は
「大山衹命、日本武尊、建御名方命」の三柱に「素戔嗚尊」を合祀とあります。
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国道19号を松本方面から明科の市街地に向かって走ると
塔の原の信号より南寄りで国道沿いに鎮座しています。
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が、本殿は一般的な東向きで建てられていて
境内の西側を走る国道からは背中を向けられている感じです。
東山が間近にせまる地形であれば、
西向きに社殿を建てる発想もあったかもしれないと思うのですが、
同社は穂高神社に所縁あると考えられていることから
穂高神社の拝殿的役割を果たしていたのではないかという
そんな考察が明科町誌に記載されています。
地形的にも穂高神社の真東に位置するのも
必然的なものだったのかもしれません。

鳥居の扁額が“三社大明神”となっていますが、
かつてはそのように呼称されていたらしく、
その辺からも三ノ宮である穂高神社との所縁を感じさせます。
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町誌によれば穂高神社が20年単位で式年遷宮となるに合わせ、
犀宮はその穂高神社の遷宮の翌年に御遷宮を行うとあります。
ってことは最新の葺き替えは平成22年ということになりますが、
ぜんぜん知りませんでした。

あと、泉小太郎と犀龍の伝説も絡んでいるようですが、
その話は余り詳しくないのでここでは割愛。

拝殿。
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本殿は一間社流造。
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江戸末期建立と推定。
鰹木だけでなく千木も3対ありますが、
これも三柱であることとなにか関係があるのでしょうか。
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境内摂社もいろんな様式の社で祀られていて、
旧村社としての風格を漂わせる境内になっています.
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それにしても、ですよ。

これはなんということでしょう。
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明治35年(1902)に国鉄篠ノ井線が同地に開通した折、
社地が分断されて境内の様子が一変したとあります。
百歩譲って鉄道路線がここを走らざるを得ないとなったとしても、
高架橋にして参道を下にくぐらせるとか、
そういうのはムリだったんですかね?
参道の上に鉄道が走る自体無理があるのかもしれませんが、
現状で良しというもんでもないと思うのですが。
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面白いのはこの篠ノ井線の直線で走ってきた線路が
犀宮社のところで少し東側へ曲折している点と、
大糸線の直線路が穂高神社の部分(=穂高駅)で
西側へ曲折していることと状況が似通っているということ。
神社の正面と裏側という違いはあるものの、
なんだかそんなところでも両社のつながりを感じてしまうのは
自分だけでしょうか(^^)
saimiya.png
いづれにしても、今となっては非常にユニーク
かつ大変危険な様子を楽しむ(?)ことができる神社です。

あ、同社に狛犬は居ませんでした。

(撮影日:2012年4月1日)


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福島型が安曇野に!? [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市三郷明盛、中萱の熊野神社。
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江戸時代に起こった百姓一揆「貞享騒動」における
首謀者たちの秘密基地的存在となった場所がこの熊野神社。
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貞享騒動をご存じない方はウィキペディア貞享義民館HPをご参照下さいませ。
(↓すぐ近所にある貞享義民館。)
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それではさっそく秘密基地・・・もとい、熊野神社境内へ。
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狛犬を通り過ぎて境内へと足を進めると、
こじんまりと整えられた神域が広がっています。
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拝殿と社務所。
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相殿の、三峯社、秋葉社、八王子社。
お社は一間社流造で市の有形文化財。
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御本殿は隅木入春日造。
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熊野三神と八坂神・素戔嗚尊が祀られており、
こちらも建物は市の有形文化財となっています。

境内の摂社。
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稲荷社には整った姿の狐さまがいました。
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昭和3年10月建立。

巻物を口にしているのはいいとして、
前足で押さえているのはなんでしょうね。
宝珠でも鞠でもなさそうだし。。。

狛犬さんに戻ります。
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全国各地の狛犬を見て回っている人なら
この狛犬を見てピンと来るものがあるかもしれませんね。

「あっ、福島型だ」なんて感じで。
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福島型という括り自体がどうなのかという問題はさておき、
福島県でよく見かける狛犬の姿に酷似しているのは間違いないところで。

ややずんぐりむっくりで、頭がべちゃっとひしゃげた感じ。
鞠や子獅子の納まり方とか親獅子の子供の押さえかたとか。
昨夏南福島を旅したときによく見かけた狛犬たちによく似ています。

昭和5年5月吉日建立。
彫刻師:村越清次郎。

でも台座には“豊科町 石工 大谷忠利”とあります。
台座と本体、別々の人が手がけたということですかね。
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彫りはとくべつ凝った感じではなく、どちらかといえばシンプルなんですが、
阿形の口のなかには玉があり、ゴロゴロ転がる作りはけっこう要テクニック。
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淡白な印象だけど技術はある感じもする、不思議な石工さんの狛犬です。

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(撮影日:2013年2月9日)


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やっぱり電線が・・・ [火の見櫓(安曇野市)]

安曇野市堀金烏川の火の見櫓。
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堀金総合支所から国営公園に向かう道すがら、
第13分団第1部の詰所に隣接して立っています。

天気が良い日は背景の常念岳とのセットでいい画像が撮れる、、、はずなのですが、
両者を一緒に撮ろうとするとどうしても電線が邪魔になってしまい(‐‐#

櫓は安曇野スタンダードな三脚柱。
一度塗り直しをかけてあるのか、塗装は比較的きれいです。
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避雷針のしっかりした屋根は見張り台とともに六角形。
ホース干し用の滑車が付いていますが、
スピーカーや無線アンテナは付属していないので見た目はすっきりですね。
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半鐘は見張り台と踊り場にもあり、
踊り場のほうはワイヤーロープで縛られています。
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木槌の存在は確認できるので、まだ今でもしっかり叩かれているかな?

足元は、ちょっと微妙。
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アーチが足元まで伸びていれなお良しですね。

背丈がもうちょっと欲しいと感じるは欲張り?
まあ、電線を除けばロケーションも単体の様子もまずまずいいところです。

(撮影日:2013年1月30日)


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安曇野にもある、立派な獅子山 [狛犬・寺社(安曇野市)]

(2014年7月19日、文末に追記しました。)
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安曇野市三郷明盛、及木地区の伍社宮。
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同地区の産土神ですが、隣接する中萱地区との境界に近く、
中萱の産土神である熊野神社も及木に近い場所に位置するため、
両社は非常に接近した関係にあります。
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少しひいた所から眺めてみると、
場所によっては一体の鎮守の森のようにも見えますね。
(画像左側が伍社宮、右奥のほうが中萱の熊野神社。)

鳥居をくぐるとすぐに狛犬が鎮座していますが、
まずは狛犬の前を素通りして。
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拝殿と社務所
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年季の入った拝殿の扁額。
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境内社。
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本殿は明和6年(1769)の穂高神社式年遷宮で新築されたものを、
その60年後の文政12年(1829)に当社へ払い下げられたもの。
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詳細割愛しますが、穂高神社本殿の特徴がよく出ているそうで、
安曇野市の有形文化財指定を受けています。
ちなみに明和6年新築となれば、穂高神社若宮社前にある
同社の初代狛犬と同い年になりますね。

さて、見どころの狛犬。
立派な、、、そう、まさに立派な獅子山です。
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明治41年9月建立。
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獅子山は江戸時代に江戸において発展した狛犬の一形態で、
通常は親獅子と子獅子のセットになっています。
「獅子は生まれて三日経った子獅子を千尋の谷へ突き落とし・・・」
という有名な一説を題材にしたものと一般には考えられており、
粋で派手好きな江戸庶民の気質に嵌る類型だといえるでしょう。

獅子山で鎮座する狛犬はだいたいが躍動感ある姿で表現されていて、
今の時代においても多くの狛犬愛好家に親しまれるところですが、
地方色ある狛犬のごたぶんにもれず、所在地は東京とその近郊に限られ、
その他の地方では滅多に出会うことがありません。
信州では自分はこの伍社宮の獅子山しか知りません。
長野県内でここにもあるよ、という情報がもしあれば
ぜひお知らせください。すっ飛んでいきます(^^)

で、狛犬たち。

全体に躍動感溢れた、立派な獅子ですが、
細かなところの彫りが優れていると感じます。

胴体に炎立っているような模様。
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筋肉が隆起しているかのような凹凸ある胴体。
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内側を彫り抜いた爪先。
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この爪先の裏側まで彫り抜くというのはかなりのこだわりがあったのでしょうか。
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この獅子山を初めて目にしたのは3年前ですが、当時はここまで気づきませんでした。
今回、何度目かの再訪でしたが、そういうこだわり部分を確認できて良かったです。

表情もいい面構え。
惜しいことに牙が一本欠けています。
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吽形には子獅子が一頭。
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親も立派なら子もたくましい。
父ちゃんもしくは母ちゃんを見上げる表情に意志の強さを感じます。

子獅子にもちゃんと親とおなじ模様が入ってますね。
2013.02.15.goshamiya11.JPG

江戸獅子山は溶岩を用いて山をこしらえるのが一般のようですが、
ここでは普通の(?)石を用いて築山されています。
石の種類はごめんなさい、勉強不足であまりよく分かっていません。。。

阿吽ともに築山の裏手に制作者の記銘がありました。

彫刻師 諏訪神宮寺社前 北原栁太郎
岩組師 南安曇郡三田村 中谷利一郎

年代は表側に寄付人の名前とともに記銘されていました。

安曇野だけでなく、信州を代表する獅子山をもつ伍社宮。
おすすめの神社です。
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(撮影日:2013年2月9日)

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(追記)
2014年になってからの話です。
この伍社宮の獅子山を制作した石工、北原柳太郎という人物について、
彼の子孫である諏訪市の石材店「石柳北原」の社長さんと出会う機会に恵まれました。
2月頃、柳太郎氏から数えて5代目となる現社長とともに伍社宮で対面、
北原さんの側では代々の作品を整理して写真集まで整えておられていたのですが、
同社の獅子山については情報が残っていなかった様子で、
私からその存在をお知らせしたところたいへん驚かれていました。

一方では柳太郎氏についていろいろ話を伺うことができたりと、
私にとっても非常に有意義な出会いになったのです。

北原さんの石材店は諏訪大社上社のある神宮寺地区にあるのですが、
子獅子を含めた狛犬3体に使用されている石材がこの神宮寺地区の裏山から
産出される「神宮寺石」と称される安山岩の一種であるあることが分かりました。
今ではこの神宮寺石は枯渇してしまい、もうこの獅子山の狛犬のような
大型の作品は制作できないとのことでした。

信州にある獅子山という点において希少価値が高いと考えていた私ですが、
加えて素材としての希少性も付加されたことで、今後より一層
この獅子山一対の文化財的価値を公に評価されるような活動に
力を入れて行きたいと思うようになりました。

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タグ:狛犬

かつらぎ町の紀ノ川を挟んだ2基 [火の見櫓(和歌山県)]

前エントリーと今回に限って和歌山ネタなのは、このとき所用で里帰りしたため。
日帰りだったので狛犬&火の見櫓ともゆっくり取材する時間がなく、
これも帰り際にたまたま見かけたものをちょっと写真に納めただけのもの。
(4ヶ月も前の話ですがご容赦。)

和歌山県伊都郡かつらぎ町、三谷地区の火の見櫓。
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普通の見張り台の大きさに対してやたらと小さな屋根がなんとなく面白い。
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半鐘がベトナム帽をかぶってるみたいで。

それにしても…錆、キツイです。

撮影したのは昨年10月。
現時点から数えてまだ4ヶ月ちょっと経った程度ですが、
まだ今でも存続しているのかどうだか心配になるほど、
もういつ引導渡されてもおかしくないほどの状態。
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足元もコンクリートの打ち増しがあったのか、半分ほど埋もれてしまっているし。。。

もう一基は三谷地区と紀ノ川を挟んだ対岸にある妙寺地区。
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国道沿いの消防団詰所の近くに立っていますが、
こちらもけっこうきてますね。
同じように足元が半分コンクリートに埋もれていて。
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どちらもブレースはターンバックルを使わず山形鋼で始末しています。
二基しか確認していませんが、この辺の火の見櫓の特徴でしょうか。
またいつか和歌山入りしたときには、もう少しじっくり観察できる時間を
取りたいと思います。

夕暮れ時、ゆったりと流れる紀ノ川の姿をいちまい。
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子供の頃、ばあちゃんちに来た時よく遊んだ川原の懐かしい風景が
錆びることなくまだそこにありました。

(撮影日:2012年10月9日)


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世界遺産の神社にいる狛犬 [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山県伊都郡かつらぎ町、天野の丹生都比売神社。
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高野山の入山口にになる同社は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として、
本殿と楼門、境内一帯が登録されています。
国内的な文化財指定では、本殿と楼門が国重文、境内全体は国史跡。
また国宝をはじめとする数多くの貴重な文化財が存在しています。

境内にある由緒書きを要約すると・・・

正確な創建年は不明で、少なくとも今から1700年前には
創建されていたという話。
主祭神の丹生都比売大神は天照大神の妹神で、
現在のかつらぎ町三谷の地に降臨して紀州と大和の地を巡り、
農耕を伝えたのち、ここ天野の地に鎮座。
密教の根本道場を求めていた弘法大師(空海)の前に
御子神の高野御子大神が白と黒の犬を連れた狩人に化身して現れ、
神社へ案内し更に高野山へ導いた、というのは今昔物語のお話。
空海は神様の導きによってその神域を借り受け、
そこに真言密教の総本山である高野山を開いた。
古くから日本人の心にある祖先を大切にし、
自然に感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、
当社と高野山によって神と仏が共存する日本の宗教観が形成されていった。
これが神仏融合のきっかけである・・・

・・・などということが記されていました。

そういうわけで、古くから高野山と深い繋がりの同社は今でも僧侶の参詣があり、
また参詣道のルートとして高野詣での際にはまず地主神である同社に参拝し、
それから高野山に入山するというのが、かつての慣習になっていたそうです。

さて、境内の様子。
境内入口に立つ朱塗りの両部鳥居。
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鳥居だけでなく、神社全体が朱塗りで彩られていて、
静かな山里の中でひときわ際立っています。

参道の輪橋と鏡池。
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美しいフォルムの反り橋は、かの淀君の寄進。
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池は、不老長寿となった八尾比丘尼(やおびくに)という尼僧が池に姿を映し、
年老わない自分を嘆いて鏡を投げ入れたと伝わることから来ているそうです。
(どうでもいい話ですが、八尾比丘尼って一発で変換できた。ちょっと驚き。)
八尾比丘尼(←Wikipediaへのリンク)

輪橋の上から眺める天野の里の風景。
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紀ノ川の流れる平野部から山の中へ車を走らせ、
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くねくねとした細い山道からトンネルを抜けると、それまでの谷あいの風景から一変して
山中に開けた標高450メートルの高原、静かな天野の里に入ります。
天野は自分の生まれ故郷から近い場所なので、
丹生都比売神社へは子供の頃からよく初詣などで訪れていました。
そんな親しみ深い神社が世界遺産になったというのは、なんとも妙な感覚です。

話が横道にそれました。神社に戻ります。

境内と楼門。
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緑の森の中でひときわ生える朱塗りの建物。
現在の建物は、明応8年(1499)室町中期の建立。
拝殿と神饌所の回廊が左右に附属しています。
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山中に堂々たる姿で立つ様子に圧倒されますが、同じ朱塗りでも
京や奈良の都のなかにある神社とはまた違った趣きがありますね。

本殿は4社。
一間社春日造としては最大の規模になるそうですが、
拝殿の手前からだと肝心の撮影がけっこう難しいです。
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写っている範囲で御紹介。向かって右から
第一殿:丹生都比売大神
第二殿:高野御子大神
第三殿:大食都比売大神
第四殿:市杵島比売大神
4つの社の形式になったのは鎌倉時代。
現在の本殿は室町時代に再建されたものだそうです。
装飾の絵も素晴らしく、間近でじっくり鑑賞したいところですが、
昇殿参拝でもしない限り、素人の撮影ではこれが精一杯でした。

さて、最後に狛犬。
ブロンズ像の一対が楼門前に鎮座。
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平成5年(1993)12月吉日建立。
戦前からブロンズ像があったようですが、戦時の軍事資材に供出されてしまい、
その後50数年の歳月を経て、楼門修理工事を記念して再建されました。
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原型は同神社にあった国重文指定の木造狛犬。
重文の狛犬はなんと計4対もあるそうで、同社で保管されているほか
京都国立博物館などへも出向しているものもあるようです。
いちど拝観してみたいものです。

世界遺産登録→俗化した観光地へ変貌、とよく言われますが、
この丹生都比売神社と天野の里に関してはそれほど目立った
観光俗化の動きはあまり感じられません。
今回平日に訪れた時には参拝者もほとんど居らず、
とても静かな空気の中でゆったり過ごすことが出来ました。
高野山への“観光”の機会があれば、ぜひ同社へも参拝してみてください。

丹生都比売神社公式HP

(撮影日:2012年10月9日)


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タグ:狛犬

国内最古(?)の石造狛犬はお寺にあり [狛犬・寺社(奈良県)]

タイトルの国内最古に?マークをつけているのは
ひとえにそれが100%断言できるものではないということもありますが、
純然たる国産狛犬ではないよ、という意味合いも幾らか込められているためで。

奈良県奈良市、東大寺。日本が世界に誇る名刹。
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一般的に言って狛犬というと神社と相場が決まっているように思われがちですが、
お寺に据えられているのも決して珍しいわけではありません。

その代表格なのがこの東大寺南大門の狛犬。
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建久7年(1196)建立。
記銘のある石造狛犬としては国内最古といわれており、
国の重要文化財指定を受けています。

古代に大陸から伝わった守護獣としての獅子が発展し、
日本独自の獅子狛犬の形態が確立。
しばらくは宮中や朝廷に所縁の深い寺社の神殿などのみに置かれていた、
いわゆる“神殿狛犬”のみの時代が続きましたが、
やがて神殿の奥から縁側へ、そして参道へとその位置を移動させ、
木造が主流だったそれまでから屋外の風雨に耐えられるようにと
石造りによって発展を続けることになりました。

しかしこの東大寺の狛犬を制作したのは中国=宋の国の石工で、
石材も宋から輸入された外材を用いています。
デザインも獅子狛犬という日本独自の形態ではなく
まさに中国獅子のデザインのそれです。
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この点からこれを国産最古の石造狛犬とすることに
疑問を呈する人もいますが、まあ作り手と材料が外国の人と物だとしても、
“国内で作られた”という括りは間違いではないですしね。
あまり細かいことは気にしないようにしましょう。
(東大寺ではこれを狛犬ではなく獅子像として紹介しているので、
ここでもその解説に倣って以下、獅子(像)と表記します。)

この獅子像は国内最古という肩書きを持つこともあってか、
後世に全国各地の神社でこれを模倣した狛犬が制作されました。
とくにその尊大な(?)態度から、国威発揚的に作られることも少なくなく、
狛犬家の間では護国神社型=招魂社系の一類型として括られたりしています。

それにしても、、、この獅子像はちょっと不遇といっていい状況。
超有名な東大寺の、有名な南大門の、さらに有名な仁王像の立つ、
その真裏(北)側に据えられているのですが、殆どの参拝客(観光客)は
この獅子像に見向きもしません。
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国重文指定を受けているといっても、こんなもんです。
(かくいう私も、狛犬の道にのめり込む前は存在すら知りませんでしたが。。。)

仁王像との位置関係は、こんな感じ。
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おまけに周囲が金網に囲まれているため、写真の撮りにくいことといったら。

それでもなんとか網に焦点を合わせることなく、隙間から頑張って撮ってみました。
2体とも口を大きく開き、ぐっと胸を反らせ、首には鈴飾りのベルトを巻いているなど、
いかにも中国獅子のデザイン。
台座も須弥座となっていて、周囲に浮き彫りが施されています。
2013.01.29.toudaiji9.JPG
純粋な狛犬のスタイルとは異なりますが、
いろんな意味で後世の狛犬制作に影響を及ぼした大作です。
みなさんもこれからもし東大寺を訪問する機会があれば、
仁王さまだけでなくぜひこの中国獅子の一対もしっかり鑑賞してみてください。
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(撮影日:2012年10月9日)


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台座のコンクリートに建築年 [火の見櫓(安曇野市)]

安曇野市穂高、本郷の火の見櫓。
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ティピカルな安曇野の火の見櫓、、、
と、言っていいのかどうだか分かりませんが。

三脚柱、丸屋根+丸見張り台、三角形の踊り場、
そしてトラス組の柱脚の様子。
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細かな部位ごとのデザインは“典型的”というわけではないけれど、
三脚柱で適度な絞り込みを見せる全体的なフォルムは
安曇野でよく見かけるタイプと括っていいと思われ。

ここは足元に派手な色使いの道祖神と二十三夜塔があるのですが、
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少し歩いた集落内に、観光ガイド本にもときどき紹介される
人気の彩色道祖神があります。(大黒さまと恵比寿さまがセットで祀られています)
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で、この火の見櫓の足元がちょっとした広場になっていて
観光バスも一時停車できるスペースなので、案内人倶楽部でも
道祖神巡りのリクエストがある団体さんにはよくここまで誘導している場所です。
でもってついでに火の見櫓までガイドしちゃうという。。。

櫓として特別奇抜な特徴があるわけではないですが、
強いてこの火の見櫓の特徴をいえば、これ。
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ベースのコンクリートに建築年を刻んであるのは
けっこう珍しいと思います。
それにしても、電線がじゃま・・・。

(撮影日:2013年2月7日)


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神殿の縁側で静かに勤めを果たす狛犬 [狛犬・寺社(大町市)]

大町市、若一王子神社。
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仁科神明宮と並ぶ、大北地方の名社といっていいでしょう。

街道沿いの入口に立つ一の鳥居。
脇の社号標の別表神社の文字が目立ってます。
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由緒によれば垂仁天皇の時代、
仁科氏の祖となる仁品王が同地に社を建てて伊弉冉尊を祀ったのが始まりで、
後年、この地方の人の手により創始の神として仁品王と妹耶姫を合祀し、
嘉祥2年(849)に創建されたと伝えられています。

時代を降り、仁科盛遠宿禰が熊野詣の折に若一王子を勧請して以降、
若一王子の宮と称されてきました。

こちら、日本三大流鏑馬でもある子供流鏑馬神事で有名な神社ですね。
長野県の有形民俗文化財にもなってますが、
詳細解説は公式HPに任せることにします。

若一王子神社公式サイト

神社ですが、神仏習合時代の名残がまともに残り、
ある意味“名刹”といってもいいかも。

鳥居と三重塔のコラボがいい雰囲気です。
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三重塔は長野県宝。
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4千坪に及ぶ社叢は長野県の天然記念物指定。
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参集殿も立派ですね。
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拝殿は昭和50年建立。
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昭和48年の伊勢神宮の式年遷宮の折に社殿を贈与を受けて、
旧拝殿を幣殿にしてその前面に新拝殿として建立されたものです。

そして拝殿の隣には茅葺屋根の観音堂。
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宝永3年(1706)の建立。
こちらも長野県宝指定で、ご本尊は十一面観音。
内陣には彫刻や絵の施された厨子が置かれています。
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そして参道狛犬。
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昭和10年7月建立。
寄進人が大連市の方のようで、時代を感じます。
いわゆるひとつの岡崎現代型ですが、そのなかでも初期型といっていい感じ。

しかしこの若一王子神社で狛犬といえばやはりこちらでしょう。

弘治2年(1556)に造営されたのち、承応3年(1654)の改修を経て、
現在では国の重要文化財の指定を受ける立派な本殿。
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桧皮葺一間社隅木入春日造。
室町期の特徴をよくつかんだ社殿といわれ、
箱棟の赤鬼が特徴的です。
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で、狛犬。
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神殿の縁側に鎮座する、典型的な木造の神殿狛犬。
欄干で下半身がいまひとつはっきり見えないのが残念ですが、
顔のあたりは彫りが深い印象で、いい作りなのではないでしょうか。
ただ、本殿は国重文ですが狛犬は。。。

いつか全身像を間近で拝んでみたいものです。

(撮影日:2011年8月20日、12月18日)


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