里山にひっそり鎮まるお猿さま [狛犬・寺社(山梨県)]
昨年10月、カフェバロのミニミニ講座で狛犬に関する講座を開催したことは
以前のエントリー記事にあるとおり。
基本的にそれまでに取材した狛犬の画像を使用したわけですが、
それ以外の未取材の狛犬にも、どうしても仕込みたいネタがありまして
安曇野から日帰り可能な範囲で出張取材を何回か実施しました。
その一環として、10月16日に山梨方面に取材ドライブした内容を
遅ればせながら順次アップしたいと思います。
山梨県上野原市、上野原の佐田神社。
中央道上野原インターから車で数分の場所にあるのですが、
とにかく場所が分かりづらいです。
おおよその場所は地図で見当がついていたのですが、
車道からの進入路がいったいどこなのか皆目分からず、
あっちこっちをウロウロしておよそ30分。
道路端に居た地元の人に話しかけて、ようやく進入路を確認。
畑か民家の入口にしか思えないような場所から、神社参道が続いていました。
ご祭神など、由緒の諸々はまったく不明。
上述の住民に場所を尋ねたときに「猿田彦さま・・・」という言葉が混じっていました。
しかし実際の神社にある石灯籠には「山王大権現」の文字が見えます。
下記の猿の存在とも考えると、どうやら日枝神社系の神社かもしれません。
(詳細情報を求む。。。)
というわけで、ここでは狛犬の代わりにお猿さんがお待ちかね。
年代を感じさせる、古いお猿さんです。
ユニークなのは左右でスタイルが異なること。
参道側から社殿に向かって右側は前のめりの格好。
左側は胡坐をかいたような座の格好。
右側の背中には「□山王前」の文字。
そして左側の背中は「享保十八年 友清建之 享和二年 新六再營之」とあります。
享保18年=1733年、享和2年=1802年。
じつは社殿の左奥のほうに、
上述の右側のお猿と同じスタイルの猿さんが横たわっていました。
破損していますが、もしかしたらこれは左側の胡坐の先代なのかもしれません。
もともと前のめり猿が左右一対で居たのが、何かの事情で破損してしまい、
再建したのが享和2年の胡坐猿ということなのかも。
真偽のほどは不明ですが、いづれにしても年代的にもデザイン的にも
非常に貴重な存在であることは間違いなさそうです。
さんざん探し回った甲斐がありました。
甲斐の国なだけに・・・(ry
(撮影日:2012年10月16日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
以前のエントリー記事にあるとおり。
基本的にそれまでに取材した狛犬の画像を使用したわけですが、
それ以外の未取材の狛犬にも、どうしても仕込みたいネタがありまして
安曇野から日帰り可能な範囲で出張取材を何回か実施しました。
その一環として、10月16日に山梨方面に取材ドライブした内容を
遅ればせながら順次アップしたいと思います。
山梨県上野原市、上野原の佐田神社。
中央道上野原インターから車で数分の場所にあるのですが、
とにかく場所が分かりづらいです。
おおよその場所は地図で見当がついていたのですが、
車道からの進入路がいったいどこなのか皆目分からず、
あっちこっちをウロウロしておよそ30分。
道路端に居た地元の人に話しかけて、ようやく進入路を確認。
畑か民家の入口にしか思えないような場所から、神社参道が続いていました。
ご祭神など、由緒の諸々はまったく不明。
上述の住民に場所を尋ねたときに「猿田彦さま・・・」という言葉が混じっていました。
しかし実際の神社にある石灯籠には「山王大権現」の文字が見えます。
下記の猿の存在とも考えると、どうやら日枝神社系の神社かもしれません。
(詳細情報を求む。。。)
というわけで、ここでは狛犬の代わりにお猿さんがお待ちかね。
年代を感じさせる、古いお猿さんです。
ユニークなのは左右でスタイルが異なること。
参道側から社殿に向かって右側は前のめりの格好。
左側は胡坐をかいたような座の格好。
右側の背中には「□山王前」の文字。
そして左側の背中は「享保十八年 友清建之 享和二年 新六再營之」とあります。
享保18年=1733年、享和2年=1802年。
じつは社殿の左奥のほうに、
上述の右側のお猿と同じスタイルの猿さんが横たわっていました。
破損していますが、もしかしたらこれは左側の胡坐の先代なのかもしれません。
もともと前のめり猿が左右一対で居たのが、何かの事情で破損してしまい、
再建したのが享和2年の胡坐猿ということなのかも。
真偽のほどは不明ですが、いづれにしても年代的にもデザイン的にも
非常に貴重な存在であることは間違いなさそうです。
さんざん探し回った甲斐がありました。
甲斐の国なだけに・・・(ry
(撮影日:2012年10月16日)
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