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長床で有名な新宮熊野神社の狛犬は石まみれ!? [狛犬・寺社(福島県)]

福島県喜多方市、新宮熊野神社。
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名前は新宮ですが、紀州の熊野三山(本宮、新宮、那智)すべてを祀っています。
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創建は伝承では天喜3年(1055)、前九年の役で源頼義が戦勝祈願で熊野神社を
現在の会津若松市内に祀ったのが起源で、寛治3年(1089)、後三年の役で
頼義の子・義家が同地に熊野新宮社を遷座、造営。同時期に別の場所に造営した
那智社と本宮社を後年になって現在地に遷座したのだそうです。
先にエントリーした心清水八幡神社と同時代の出来事というわけですね。

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立派な表参道の先にあるのが、有名な拝殿の長床(重要文化財指定)ですが、
その手前に狛犬さんが鎮座しています。
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昭和27年9月25日建立。
刻:古川偀太朗(塩川)
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デザインは典型的な福島型なんですが、小石がこんなにっ!?
他にも小石を狛犬の足元などに積み上げる風習のある土地があるようですが、
なにかのお祈りの要素があるのでしょうか。
単なる子供のおふざけとも思えないですが。
(どなたか情報を求む。)

そしてここではやはり、狛犬よりも長床に気持ちが行ってしまいます。
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寄棟の茅葺屋根。間口27m×12mですが、間近に見ると一段と大きい印象。
平安期の寝殿造りの様式を取り入れた、神社拝殿としては珍しい建築で、
建立年代は不明ですが、平安末期~鎌倉初期と考えられているようです。
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本殿を拝殿内部から拝むとこんな感じ。
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石段上部に三殿が均等に並んでいます。
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正面が新宮、向かって右が本宮、向かって左が那智。
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重文まで存在する由緒ある神社で、本殿も福島県の重要文化財指定なのですが、
こんな間近まで本殿に近づくことが出来るのは珍しいですね。
小さな村の鎮守神でも、最近の本殿は板塀やコンクリートで囲われているのが普通ですからね。

またここには神仏習合の名残が今でもしっかり残っていて、
長床に隣接して文殊堂や鐘楼が建っています。
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銅鐘は福島県内で最も古く(貞和5年(1349))、県重要文化財指定。

長床脇の巨木の大イチョウも喜多方市の天然記念物。
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樹高約30m、目通り約8m。
秋には境内を黄色一色に染め上げるようで、
そんな彩の季節にも訪れてみたくなります。

隣接の土地に立派な宝物殿が建てられていて、
貴重な歴史の遺産が一般に公開されています。
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写真撮るのはためらわれたのですが、
どうしてもこれだけは、というものを一枚だけ勘弁してもらって・・・
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平安時代作と伝えられる木製狛犬。
旅の最後に貴重な狛犬さんに出会うことが出来ました(^^)

長床をはじめとする数多くの文化財遺産を抱える同神社は
文化財保全費用捻出を目的に有料拝観となっています。
境内は垣根で囲われているわけでもなく、
表参道もとくに門で区切られているわけではないので、
その気になれば自由に出入りできる環境にありますが、
300円(大人)という料金は見応えからすれば安いものでしょう。
まさか観光客でこの程度の小銭をケチる人もいないとは思いますが…。
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2012夏、福島の旅のレポートはこれにて終了です。
5ヶ月近くかかってやっとこさ、ひと通りアップできました(^^;;
福島のなかでも一部の地域のごく一部のポイントを訪問しただけですが、
思い返せば充実した3日間の旅でした。
会津エリアは過去に幾度も訪れた思い出深い場所だし、
名工・小松寅吉&小林和平の作品もすべてを鑑賞したわけではないし、
また近いうちに再訪することになるでしょう……たぶん。
次回は季節を変えて訪問したいものです。

(撮影日:2012年8月15日)



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スリムな三本脚 [火の見櫓(福島県)]

喜多方市慶徳町山科、山崎の火の見櫓。
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取材中に出会ったタワー型の火の見櫓は多くが4本脚でしたが、
今回のものは3本脚。
でも情報によればけっこう3本脚も少なくないようなので、
たまたま縁がなかっただけかもしれません。
次回この地を再訪する際には狛犬だけでなく、
火の見櫓も所在情報をチェックして訪れたいと思います。
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会津板下から喜多方方面へ通じる県道沿いに立っているこの櫓はスリムで、
直線道路の先、カーブの脇にあって背丈もあるので遠くからでもけっこう目立ちます。
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見張り台は正6角形。
半鐘は見張り台ではなく張り出し型の踊り場に。
木槌も備わっているようですが、まだ使われているでしょうか。

これが今回の福島ツアーで最後に取材した火の見櫓。
ツアーの出だしは脳内火の見櫓感知センサーも慣れない地域に戸惑ってましたがww、
初日の午後以降は感も冴えてけっこういろんなタイプを発見できました。
まだまだいろんな櫓が残っているので、また再訪が楽しみです。

(撮影日:2012年8月15日)


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道路元標と共に立つ火の見櫓 [火の見櫓(福島県)]

福島県河沼郡会津坂下町、塔寺の火の見櫓。
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前エントリーの心清水八幡神社の程近い場所、
越後街道の国道49号に対する旧道のような路線沿いにあります。
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隣家の壁色と消防団詰所のシャッターの色に合わせたかのような色具合。
デザイン的というより単に防錆塗装だと思いますが、錆ではなく最初から赤色のようです。
背丈はさほどではなく、踊り場はなし。
見張り台は三角形を面取りしたような変則6角形。
半鐘はあるものの、現在使用されているかどうか。
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足元には道路元標があるのですが、記銘は“八幡村”。
昭和30年に会津坂下町として合併するまで存在した村のようです。
昔からの村の中心地ということですね。

心清水八幡神社のすぐ近くと書きましたが、
同じようにこの火の見櫓の近所に恵隆寺と呼ばれる古刹があります。
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立木観音とも呼ばれ、観音堂は重要文化財の指定を受けています。
堂内には42脾の千手観音像があり、これもまた重要文化財指定。
会津ころり三観音のひとつだそうです。(→参照:ウィキペディア「会津ころり三観音」

(撮影日:2012年8月15日)


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会津の鎮守、心清水八幡神社 [狛犬・寺社(福島県)]

福島県河沼郡会津坂下町の心清水八幡神社。
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創建は天喜3年(1055)、源頼義、義家父子が前九年合戦に石清水八幡を勧請し、
同地にて戦勝祈願したのが始まりで、その後、戦に勝利した源義家が
天喜5(1057)に社殿を建立し河沼郡の総鎮守と定めという話が伝わっています。

近世に入り、会津藩の庇護のもと、心清水八幡神社は会津五大社に定められ、
幕末には火災消失した社殿を、文久3年(1863)~同5年(1865)にかけて
藩によって再建を果たし、現在に至っています。
文久年間といえば最後の藩主、松平容保公ですね。

また同社には「塔寺八幡宮長帳」とよばれる日誌が残されていて
これには中世から近世初頭にかけて約300年近くの神社誌や近在の諸事情が記され、
国内第一級の資料として重要文化財指定を受けているそうです。
重要文化財としては室町初期に製作された“鰐口”もあります。

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参道が長くて、一の鳥居はあまり目立たないおとなしい構え。
ほどなく神社らしからぬ武家屋敷のような門をくぐり、
すぐ先にある二の鳥居に到着。
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ここに一対目の狛犬さんがいます。
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昭和13年(1938)4月建立。
素材がなんとなく笏谷石のような印象なのですが、
だとすれば会津地方では珍しいですね。
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阿形の口に玉が咥えられていて、例によってゴロゴロと口中で転がりますが、
彫りは比較的淡白な感じも。

二対目は拝殿前に鎮座。
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昭和12年(1939)5月建立。彫刻:佐藤榮三郎。
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二対とも福島型で、一対目のおよそ1年前に製作されたものですが、
同年代のものとは思えない外観の現状。
もっとも戦前の狛犬ならこの二対目のほうが順当な汚れ方(?)で、
一対目のほうはもしかしたら近年なにかしらのクリーニングや
メンテナンスが行われたのかも?
よく知りませんが・・・
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立派な拝殿の裏側へ回ると、すぐに本殿はありません。
代わりに裏山へと伸びる長い石段が。
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上っていいのかな?などと考えることもなく普通に歩いて登り、
行き着いた先に本殿を拝見。
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板塀に囲われた、立派な流造の本殿。
これが上述の会津藩が建立した最後の建造物です。

(撮影日:2012年8月15日)


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異星人のような顔つきの狐 [狛犬・寺社(福島県)]

福島県会津若松市の田中稲荷神社。
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創建年は不明ながらも由緒書きによれば長久3年(1042)との伝承があるらしく、
文禄2年(1593)に市神さまを同地に祀ったのを始まりとする話もあるようです。

どこにでもありがちな稲荷神社のように見えますが、
ここがユニークなのは社殿が土蔵造りだということ。
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近世近代の度重なる火災消失を経て、
明治32年(1899)に土蔵造りにて再建されたそうで、由緒書きに寄れば
京都の土蔵造りを模して建てられた社殿は現在、京都と会津若松の二社のみらしく。
ネットで検索かけるとけっこう土蔵造りの社殿ってほかにも出てくるので、
“京都の土蔵造りを模して・・・”というのがミソなんでしょうね(^^)

そして、お稲荷さんですからやはり狐さまが参道両脇でお出迎え。
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大正8年(1919)8月吉日建立。
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狐さまの特徴をよくとらえた顔つきだと思いますが、
他で見かけるものより鼻筋が丸長で独特ですね。
なんとなく、スターウォーズに出てきた“ワトー”に似ている気がするのですが。。。
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子狐もいい味を出していますね。
さらに特徴的なのは
雌雄の区別がついていて、向かって左の狐はおなかに乳房と乳首があり、
右側の狐には男根らしきものが彫られています。
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雌雄の特徴といえば狛犬に男根が付加されているのは時折みかけますが、
自分は狐さまで見かけるのは初体験です。

まち歩きの途中でふと立ち寄っただけでしたが、
思わぬ収穫のあった神社でした。

(撮影日:2012年8月15日)


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まちなかに佇む神明神社 [狛犬・寺社(福島県)]

福島ツアーのレポートも、やっとこさ最終日に突入ですwww

会津若松市中町の神明神社。
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面している道路は会津若松のメインストリート的な通りで、
神社から名をとって神明通りという通称が付けられているようです。

1369年(応安2年)にこことは違う別の場所に建立され、
戊辰戦争で焼失後、仮殿を設けた折に伊勢宮から神明神社に改称。
現在地には昭和19年に移転してきたそうです。
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こじんまりしている境内には樹木も多く、緑豊かなまちなかのオアシス的印象。
宿泊したホテルに隣接していたのでたまたま立ち寄ったのですが、
いかにも典型的な福島型狛犬さんが鎮座していました。
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彫りはシンプルですが、いい面構えです。

ちなみに訪問日が終戦記念日ということで場所柄もあってか、
神社の前の通りではそちら系の街宣車が賑やかに
スピーカーから爆発的音量で軍歌を轟かせていました。。。

(撮影日:2012年8月15日)


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重伝建地区の大内宿に立つ火の見櫓 [火の見櫓(福島県)]

昨年8月に実施した福島の旅では、
基本として狛犬の探訪ポイント(神社)のみ事前調査して、
火の見櫓についてはその道すがら見かけたものだけを調査するという
いわば行き当たりばったり的な感じだったわけですが、
そのなかで唯一例外的にこれだけは外せないと決めていた火の見櫓があります。

それがこの、大内宿に立つ火の見櫓。
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大内宿は会津西街道の宿場として発展。
近代以降は主要幹線ルートから外れたために近代化が遅れ、
それが結果として優れた民家建造物群を宿場全体で残る結果を生み、
現代では国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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とくにこの宿場が特徴的なのは茅葺屋根の民家が軒を連ねていること。
江戸中期にはすでに他の街道との物流ルートとしての競合があったようで、
大内宿は厳密な宿場町というより半農半宿という感じだったようです。
(以上、ウィキペディア参照(^^;)

で、本題の火の見櫓。
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訪問日がお盆休暇の真っ只中で、大勢の観光客で賑わっていますが、
火の見櫓にカメラを向けて何枚もシャッターを切っているのは、
まあよほどの変わり者しかいないでしょうww
でも、自分が地べたに這いつくばるようにしてカメラを火の見櫓に構えていたら、
街道の背景と火の見櫓の構図が気になったらしい人が
同じように火の見櫓にカメラを向けてシャッターを切っていました。
さりげなく、ヤグラー啓蒙活動を実践した気分の自分(^^)v
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ここの櫓も4本脚で、この地方のスタンダードなタイプですが、
なにより色を黒く塗り仕上ているところが重伝建の大内宿らしいですね。
街道の雰囲気にぴったり嵌っています。
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銘板がしっかりしていて、
「第七分団 昭和41年 林鉄工所 栃木県大田原市」
とあります。
やはり、ここでも林鉄工所の名前が(^^;;
なので見張り台や踊り場の手摺、頭頂部などが毎度おなじみ装飾的ですね。
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スピーカーの数が目立つのは通常ならデザイン的にはマイナス要素ですが、
大内宿の持つ特徴を考えると致し方ないかなとの思いも抱きつつ、
半鐘がスピーカーや防災サイレンなどに囲われてしまっている様子が
いかにも現代の火の見櫓事情を象徴しているかのようで、
せっかく江戸時代の雰囲気を残す町並みなのだから、
例えば朝夕に半鐘を鳴らして時の鐘みたいに活用すると面白いのにとか、
そういう下世話なことを考えてみたりもして。
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火の見櫓だけでなく、消火栓も黒塗りで景観調和。

まあ、なんにしても古いまちなみとのマッチングはピッタリです。
今度は冬景色の頃に訪問したいなと思いました。
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(撮影日:2012年8月14日)


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樹木に囲まれてしまった火の見櫓 [火の見櫓(福島県)]

福島県岩瀬郡天栄村岩瀬湯本温泉の入口付近に立つ火の見櫓。
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国道から一段上がったところに立っているのですが、
肝心の集落側が樹木に覆われてしまっています。
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純粋な火の見の役割が損なわれかねないところですが、
櫓が建設された時点では後方の巨木以外はまだ枝を張っていなかったのかも。

櫓自体はこの近隣では標準的な4本脚ですが、
もうメンテナンスは施されていないのか、錆がけっこう目立っていて
屋根も一部破損している様子なのが残念です。
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踊り場を支える方杖が附属しているのは比較的少数派なのですが、
多くの場合は直線型。ここのように曲線型なのは珍しいタイプなので、
ちょっとしたことですが、その意味でもちょっと惜しい火の見櫓ではないかなと。
(同地区周辺では他にも曲線方杖はあるようですが、自分はまだ実地調査していません。)

(撮影日:2012年8月14日)


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移設されて化粧直ししてもらった火の見櫓 [火の見櫓(福島県)]

福島県岩瀬郡天栄村滝上の火の見櫓。
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須賀川市から南会津の大内宿方面へと抜ける国道118号沿いに立っていました。

旅も二日目半ばになると相当数の火の見櫓を目にして、
当然ながら地域性もあって似たり寄ったりのスタイルのものが多く
この時点でさすがに食傷気味になっていたところでしたが、
この滝上の火の見櫓はその端正な美しさに思わず見とれてしまいました。
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全体のデザインは近隣のものと大差ないのですが、
最近になって化粧直ししたであろう外装は日の光を受けて輝いていて。

道路向かいの民家の方にヒアリングしてみると、
近年までは別の場所にあって、現在地に移築したのだそう。
おそらくそのときに塗り直しを行ったのでしょうかね。
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すっきりして見えるのは、やはりスピーカーと防災無線アンテナがないため。
防災サイレンは見張り台にありますが、この程度なら目立たないので◎。
代わりに半鐘は踊り場に固定されていましたが、
これが見張り台にしっかりあればさらに高得点ですが、贅沢は言いません。
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消防団倉庫と一体の、山間部の火の見櫓は小さな集落の守り神ですね。
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(撮影日:2012年8月14日)


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神社を飛び出した獅子像 [狛犬・寺社(福島県)]

福島県須賀川市にある須賀川牡丹園。
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江戸時代中期に薬用の牡丹栽培がその起源ということで、
なかなかに歴史のある牡丹園。
5月頃に訪れれば牡丹の花満開でさぞかしきれいなことでしょう。

で、8月に訪問した自分は無料で解放されていながらも
来場者の誰もいない園内をひとりの~んびりと散策。

というか、火の見櫓&狛犬探訪ツアーのはずが
なぜ牡丹園などに立ち寄ったかというと、もちろんここに
目的のものがあるからにほかならず。

狛犬、、、あるいは獅子像といったほうがこの場合は適切かも。
名工・小松寅吉の手による獅子一対が存在するという、狛犬ファンには有名な話。

が、広い園内、捜せど探せど獅子像が見当たらない。
なかには同じく寅吉が制作したと言われている天宇受売命像があったりと、
なにやら不思議空間の様相も呈しているなか、園内を一周半ほどしたところで
たまらず営業していた売店兼案内所のスタッフにお尋ね。
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場所の説明を受けたのち、そのスタッフの人から
「なにか有名な人が作ったものらしいですね」とのひと言。
おそらく何人もの狛犬フリークまたはマニアまたは自称研究家から
居所の質問を幾度も受けたのではないでしょうかね。
でも、その作者が件の天宇受売命と同一人物だとはご存じない様子で。

で、前置きはそれくらいにして、問題の(?)獅子像のもとへ。

いましたいました!
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これは紛れも無く小松寅吉翁の作品。
昭和天皇の御製の石碑があるのですが、その両脇に鎮座しています。
御製をお見守りしていますよ、ということになるのでしょうか。
それにしても・・・
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樹木に半分覆われてしまったような感じで、
感心を持たずに来場した人にはほとんど意識されなさそうな寂しい印象。
さきほどの天宇受売命は曲がりなりにも由緒書きにチラッと名前があるのに、
こちらにはそれすらない。
もちろんここでの主役は御製ですからある意味仕方ないかもしれませんが、
まあこれが狛犬=獅子像の置かれた現実なのでしょうね。
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作品としてはとてもいいものだと思います。
とくに子獅子がいい味を出していますね。

ちなみに園内には稲荷神社と八幡神社があり、
八幡様のほうには狛犬が一体(not一対)がいたようなのですが、
寅吉獅子を捜すのに夢中でこちらはすっかり忘れていました。
再訪することがあればぜひチェックしたいと思います。

(撮影日:2012年8月14日)


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阿形だけ和平作の狛犬 [狛犬・寺社(福島県)]

数ヶ月ほど、ほったらかしにしていた昨夏実施した福島ツアーのレポート。
いい加減に仕上げないとと、正月休みを利用して怒涛のエントリーアップにチャレンジ中www

福島県石川郡玉川村川辺、八幡神社。
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八幡系の神社は全国レベルで圧倒的な数を誇っていますが、
ここ南福島一帯はそのなかでもかなり密度の濃いエリアと思われ。
なので地域(集落)の名を冠して言われることが多い様子で、
こちらの八幡さんも、川辺八幡神社などと称している記事をよく見かけますね。

で、狛犬さんは計2対。
参道入口にいるのは、こちら。
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昭和17年制作、石工は野田平業。
いかにも平業さんらしいデザインですが、
彼の作品のなかでは比較的おとなしい感じ、かな?

参道には随身門があり、随身像がいるかと思えば
仁王様が“ずんっ”と立っておりまして、
もう一対の狛犬その奥、拝殿前の石段の両脇に鎮座していました。
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手前に立つ笠木の無い鳥居は、やはり震災によるものでしょうか。。。

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拝殿前の参道石段。

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阿形(右)は昭和36年制作で、石工は小林和平。
吽形(左)は昭和30年制作で、石工は味原勇。
似ているようでも、作者が違えばやはり作風は異なります。
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なんでも元々あった阿形が壊れてしまったため、
和平氏に依頼して新しいものを作ってもらったのだとか。
当時和平はすでに80歳代に突入していて、
一説では孫の石工に助力してもらったのではという話も。
いづれにしても80代での作品となればそれだけでじゅうぶん力作ですね。

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境内の一角に立つ“さかさ杉”。
樹齢1000年ともいわれ、枝が下向きに伸びている珍しい巨木。

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本殿は覆い屋に覆われていました。

(撮影日:2012年8月14日)


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