消防車の出初式出動に遭遇 [火の見櫓(上伊那郡)]
上伊那郡辰野町小野の火の見櫓。
三州街道である国道153号沿い、小野駅近く。
辰野町消防団の第一分団本部の一部として立っています。
櫓としてのデザインもいいですが、建物とのバランスがいいですね。
梯子は2階の踊り場から始まるような納まり。
辰野町の火の見櫓の脚部は四方にブレースの入ることが多いですが、
建物との関係上、他地域のそれと同じようにトラスを組んでいます。
イルミネーションの飾りが確認できます。
夜間はピカピカと輝いているのでしょうかね。
消防車が屋外に出ているのは、この日これから出初め式があるため。
この後、辰野のまちなかでパレードに遭遇しましたが、その件は別のエントリーにて。
(撮影日:2013年1月6日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
三州街道である国道153号沿い、小野駅近く。
辰野町消防団の第一分団本部の一部として立っています。
櫓としてのデザインもいいですが、建物とのバランスがいいですね。
梯子は2階の踊り場から始まるような納まり。
辰野町の火の見櫓の脚部は四方にブレースの入ることが多いですが、
建物との関係上、他地域のそれと同じようにトラスを組んでいます。
イルミネーションの飾りが確認できます。
夜間はピカピカと輝いているのでしょうかね。
消防車が屋外に出ているのは、この日これから出初め式があるため。
この後、辰野のまちなかでパレードに遭遇しましたが、その件は別のエントリーにて。
(撮影日:2013年1月6日)
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足元が気になる [火の見櫓(上伊那郡)]
上伊那郡辰野町小野筑の火の見櫓。
JR小野駅から程近い集落のなかに立っています。
スタイルは4本脚型のこの辺ではよく見かけるデザイン。
背丈はさほどではないですが、集落内とはいえ周囲に高い建物がないので
この程度がかえって周囲とのバランスが良いように思われます。
ところで気になるのは足元の納まり。
コンクリートで四方を囲っているのですが、こういうのは初めて見ます。
貯水槽でもあったのか、倉庫なりがあった名残なのか…。
情報求む。。。
(撮影日:2013年1月6日)
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JR小野駅から程近い集落のなかに立っています。
スタイルは4本脚型のこの辺ではよく見かけるデザイン。
背丈はさほどではないですが、集落内とはいえ周囲に高い建物がないので
この程度がかえって周囲とのバランスが良いように思われます。
ところで気になるのは足元の納まり。
コンクリートで四方を囲っているのですが、こういうのは初めて見ます。
貯水槽でもあったのか、倉庫なりがあった名残なのか…。
情報求む。。。
(撮影日:2013年1月6日)
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ふたつの市町にまがたる信濃の国二ノ宮(其の二) [狛犬・寺社(上伊那郡)]
上伊那郡辰野町、小野の矢彦神社。
前回エントリー記事の小野神社に隣接する、同じく信濃の国二ノ宮。
小野神社同様、正月休みに詣でたのですが、画像は一部を除いて昨年9月訪問時のものです。
国道153号を跨ぐ大鳥居。(この画像は今年の正月に撮影したもの。)
塩尻市の地籍に存在する神社ですが、同神社の境内のみ辰野町の飛び地扱い。
こうなった経緯の概要は小野神社の項で書いたので、ここでは割愛。
どういう境界になっているかの地図だけご参考まで。(クリックで拡大)
とにかく、両神社合わせて広大な社叢を誇る、歴史ある名社です。
小野神社同様、建造物で長野県宝となっているものも多く存在。
神楽殿、天保13年(1842)建立。
二代目・立川和四郎富昌の作。
勅使殿、江戸時代作。
拝殿と回廊、天明2年(1782)建立。
初代・立川和四郎富棟の作。
本殿の様子。
ご祭神は大己貴命ほか大勢。
狛犬は拝殿前に一対。
昭和5年11月建立。
小野神社に比べて少しおとなしめの彫りですが、表情はやはり個性的で、
請負人や石工の名前もはっきり記銘がありました。
請負人:小野初弥
設計彫刻:小野肇
小野神社との境界は境内にて明確に分かるようになされています。
上の写真は溝で仕切られた境内の境界線。
画像左側が小野神社、右が矢彦神社。
この写真は先日の初詣の折に追加撮影した境内西側の様子。
境界がはっきりと分かります。ご丁寧に境界標の石碑まで。
塀も左側の小野神社は板塀、矢彦神社側はブロック塀と、様子が異なっていて面白い。
神仏習合で寺社が相並ぶ様子は他に見受けますが、
同格の神社が実質同一の敷地に並び立ち、且つ敷地境界を施していて、
さらには地域の行政区画が分離していて、それでいて学校なんかは両者一緒。
なかなかにユニークな土地柄であり、神社の姿ですね。
(撮影日:2012年9月15日)
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前回エントリー記事の小野神社に隣接する、同じく信濃の国二ノ宮。
小野神社同様、正月休みに詣でたのですが、画像は一部を除いて昨年9月訪問時のものです。
国道153号を跨ぐ大鳥居。(この画像は今年の正月に撮影したもの。)
塩尻市の地籍に存在する神社ですが、同神社の境内のみ辰野町の飛び地扱い。
こうなった経緯の概要は小野神社の項で書いたので、ここでは割愛。
どういう境界になっているかの地図だけご参考まで。(クリックで拡大)
とにかく、両神社合わせて広大な社叢を誇る、歴史ある名社です。
小野神社同様、建造物で長野県宝となっているものも多く存在。
神楽殿、天保13年(1842)建立。
二代目・立川和四郎富昌の作。
勅使殿、江戸時代作。
拝殿と回廊、天明2年(1782)建立。
初代・立川和四郎富棟の作。
本殿の様子。
ご祭神は大己貴命ほか大勢。
狛犬は拝殿前に一対。
昭和5年11月建立。
小野神社に比べて少しおとなしめの彫りですが、表情はやはり個性的で、
請負人や石工の名前もはっきり記銘がありました。
請負人:小野初弥
設計彫刻:小野肇
小野神社との境界は境内にて明確に分かるようになされています。
上の写真は溝で仕切られた境内の境界線。
画像左側が小野神社、右が矢彦神社。
この写真は先日の初詣の折に追加撮影した境内西側の様子。
境界がはっきりと分かります。ご丁寧に境界標の石碑まで。
塀も左側の小野神社は板塀、矢彦神社側はブロック塀と、様子が異なっていて面白い。
神仏習合で寺社が相並ぶ様子は他に見受けますが、
同格の神社が実質同一の敷地に並び立ち、且つ敷地境界を施していて、
さらには地域の行政区画が分離していて、それでいて学校なんかは両者一緒。
なかなかにユニークな土地柄であり、神社の姿ですね。
(撮影日:2012年9月15日)
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ふたつの市町にまがたる信濃の国二ノ宮(其の一) [狛犬・寺社(塩尻市)]
長野県塩尻市、北小野の小野神社。
三州街道(現国道153号)沿いに大きな鎮守の守を見せてくれています。
正月休みのあいだに初詣を兼ねて狛犬探訪に出かけましたが、
画像は昨年訪れた際のものを使用しています。
信濃の国の二ノ宮として、また上伊那54ヶ村の総鎮守として
古より厚く崇敬されてきましたが、ここを語るには隣接の矢彦神社と共に
小野エリアの歴史を顧みる必要があるでしょうね。
まず行政区分は、北小野が塩尻市、その南部の小野地区が辰野町。
両者を合わせて地元では「両小野」と呼んでいるそうです。
経緯は安土桃山の末期まで遡り、飯田領と松本領の領地境争いに端を発し、
豊臣秀吉が仲裁に入り、小野エリアの北側を松本領、南側を飯田領と定め、
のちに小野神社の社叢も北を小野神社、南を矢彦神社として分割されたらしく。
ただし行政上の境界は神社より数百m南方の河川沿いになっているため、
矢彦神社はその境内のみが辰野町飛び地というかたちで納まっています。
まるで昔の西ベルリンみたいですね。
下は参考地図です。(クリックで拡大)
そしてユニークなのは学校の扱いで、公立の小中学校は
「辰野町塩尻市小学校組合立両小野小学校」として辰野町側に、
「辰野町塩尻市中学校組合立両小野中学校」として塩尻市側に、
それぞれ存在し、両小野地域の子供は行政区をまたいで通学しているそうです。
(平成23年度から両小野学園として小中一貫教育を採っているそうな。)(←同校HPより)
話を神社に戻します。
小野神社は信濃の国二ノ宮として発展してきました。
主祭神は建御名方命で、諏訪大社同様に御柱を立てています。
社叢が広大で、矢彦神社側と合わせておよそ36000平方メートルあり、
針葉樹広葉樹、多種多様な植物の入り混じった混合林は
現代では長野県の天然記念物の指定を受けています。
本殿はじめ幾つかのものが県宝指定。
立派な注連縄を飾った立派な拝殿。
本殿は少し写真が撮りづらい環境でした。
さて、狛犬。
けっこうユニークな表情をしています。
尻尾の姿も阿吽で異なっていて。
大正7年8月建立の記銘。
石工らしき人物名が彫られていますが、苗字が判読不明で
彫刻とか石工の文字が見当たらないので、記すのは控えます。
自分が訪れたときはひっそりと静まり返った境内でしたが、
御柱祭りの時などは大勢の人で賑わうのでしょうね。
矢彦神社については次のエントリーで。
(撮影日:2012年9月15日)
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三州街道(現国道153号)沿いに大きな鎮守の守を見せてくれています。
正月休みのあいだに初詣を兼ねて狛犬探訪に出かけましたが、
画像は昨年訪れた際のものを使用しています。
信濃の国の二ノ宮として、また上伊那54ヶ村の総鎮守として
古より厚く崇敬されてきましたが、ここを語るには隣接の矢彦神社と共に
小野エリアの歴史を顧みる必要があるでしょうね。
まず行政区分は、北小野が塩尻市、その南部の小野地区が辰野町。
両者を合わせて地元では「両小野」と呼んでいるそうです。
経緯は安土桃山の末期まで遡り、飯田領と松本領の領地境争いに端を発し、
豊臣秀吉が仲裁に入り、小野エリアの北側を松本領、南側を飯田領と定め、
のちに小野神社の社叢も北を小野神社、南を矢彦神社として分割されたらしく。
ただし行政上の境界は神社より数百m南方の河川沿いになっているため、
矢彦神社はその境内のみが辰野町飛び地というかたちで納まっています。
まるで昔の西ベルリンみたいですね。
下は参考地図です。(クリックで拡大)
そしてユニークなのは学校の扱いで、公立の小中学校は
「辰野町塩尻市小学校組合立両小野小学校」として辰野町側に、
「辰野町塩尻市中学校組合立両小野中学校」として塩尻市側に、
それぞれ存在し、両小野地域の子供は行政区をまたいで通学しているそうです。
(平成23年度から両小野学園として小中一貫教育を採っているそうな。)(←同校HPより)
話を神社に戻します。
小野神社は信濃の国二ノ宮として発展してきました。
主祭神は建御名方命で、諏訪大社同様に御柱を立てています。
社叢が広大で、矢彦神社側と合わせておよそ36000平方メートルあり、
針葉樹広葉樹、多種多様な植物の入り混じった混合林は
現代では長野県の天然記念物の指定を受けています。
本殿はじめ幾つかのものが県宝指定。
立派な注連縄を飾った立派な拝殿。
本殿は少し写真が撮りづらい環境でした。
さて、狛犬。
けっこうユニークな表情をしています。
尻尾の姿も阿吽で異なっていて。
大正7年8月建立の記銘。
石工らしき人物名が彫られていますが、苗字が判読不明で
彫刻とか石工の文字が見当たらないので、記すのは控えます。
自分が訪れたときはひっそりと静まり返った境内でしたが、
御柱祭りの時などは大勢の人で賑わうのでしょうね。
矢彦神社については次のエントリーで。
(撮影日:2012年9月15日)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示