弘前市原ヶ平、加茂神社前の火の見櫓 [火の見櫓(青森県)]
弘前市原ヶ平の火の見櫓。
前エントリーの続き、加茂神社の敷地よりお届けします。
櫓というより、半鐘台。火の見梯子で広く括っているジャンルですね。
真横からみると二本柱タイプに見えなくもないのですが、
実際はH型鋼を使用した一本柱を基本として、
梯子と引っ張りの棒鋼(って言っていいのか?)で確保しています。
柱に建立年を記したプレートがありました。
昭和63年(1988)6月吉日建立。
半鐘台には木槌も用意されていますが、
ちゃんと木槌専用ボックスまで用意されているのが驚きです。
今回は取材しませんでしたが、同じ町内のどこかにタワー型の火の見櫓が在って
その中継塔としての意味合いがあったのかもしれませんね。
(撮影日:2103年8月15日)
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前エントリーの続き、加茂神社の敷地よりお届けします。
櫓というより、半鐘台。火の見梯子で広く括っているジャンルですね。
真横からみると二本柱タイプに見えなくもないのですが、
実際はH型鋼を使用した一本柱を基本として、
梯子と引っ張りの棒鋼(って言っていいのか?)で確保しています。
柱に建立年を記したプレートがありました。
昭和63年(1988)6月吉日建立。
半鐘台には木槌も用意されていますが、
ちゃんと木槌専用ボックスまで用意されているのが驚きです。
今回は取材しませんでしたが、同じ町内のどこかにタワー型の火の見櫓が在って
その中継塔としての意味合いがあったのかもしれませんね。
(撮影日:2103年8月15日)
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火の見梯子を付設する(?)神社 [狛犬・寺社(青森県)]
弘前市原ヶ平、加茂神社。
弘前市の郊外エリアになりますかね。
弘南鉄道大鰐線の千年駅の西500mほどの場所に鎮座しています。
創建その他は由緒書きがなく、神社庁HPに名前が上がっていないので、
詳細がぜんぜん分かりません。
ただ社名からしてご祭神はおそらく別雷命であろうと、勝手に推測。
鳥居の傍らに火の見梯子が立っているのですが、
これは次の記事でエントリーします。
拝殿前の狛犬。
昭和14年(1939)7月15日建立。
津軽の構え型です。
少し表情が風化し始めてますかね?
本殿の向拝にいる龍と狛犬。
阿形の表情って、なにかに驚いているような感じに見えますね。
ちなみに本殿前にも一対石造狛犬がいたらしいのですが、
うっかりして取材忘れました。。。
さて、続いて火の見梯子の記事へと。。。
(撮影日:2013年8月15日)
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弘前市の郊外エリアになりますかね。
弘南鉄道大鰐線の千年駅の西500mほどの場所に鎮座しています。
創建その他は由緒書きがなく、神社庁HPに名前が上がっていないので、
詳細がぜんぜん分かりません。
ただ社名からしてご祭神はおそらく別雷命であろうと、勝手に推測。
鳥居の傍らに火の見梯子が立っているのですが、
これは次の記事でエントリーします。
拝殿前の狛犬。
昭和14年(1939)7月15日建立。
津軽の構え型です。
少し表情が風化し始めてますかね?
本殿の向拝にいる龍と狛犬。
阿形の表情って、なにかに驚いているような感じに見えますね。
ちなみに本殿前にも一対石造狛犬がいたらしいのですが、
うっかりして取材忘れました。。。
さて、続いて火の見梯子の記事へと。。。
(撮影日:2013年8月15日)
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弘前市冨田の火の見櫓 [火の見櫓(青森県)]
弘前市、富田の火の見櫓。
弘前市消防団南(?)地区団第二・三部消防屯所の建物脇に立っています。
さほど古い建物とは思いませんが、景観面も考慮された外観デザインでもあり、
屋根には望楼も付属していますね。
火の見櫓のほうは、屋根は6角形で見張り台は丸型。
見張り台フロアの梯子昇降口は蓋も付いているタイプです。
踊り場は三角形タイプの2層。
足元はブレース仕様でそのまま仕上げられているのが残念。
脚部レベルにも横架材が使われており、梯子はその内部にあるため、
ちょっと使いづらそう。
(撮影日:2013年8月15日)
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弘前市消防団南(?)地区団第二・三部消防屯所の建物脇に立っています。
さほど古い建物とは思いませんが、景観面も考慮された外観デザインでもあり、
屋根には望楼も付属していますね。
火の見櫓のほうは、屋根は6角形で見張り台は丸型。
見張り台フロアの梯子昇降口は蓋も付いているタイプです。
踊り場は三角形タイプの2層。
足元はブレース仕様でそのまま仕上げられているのが残念。
脚部レベルにも横架材が使われており、梯子はその内部にあるため、
ちょっと使いづらそう。
(撮影日:2013年8月15日)
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お寺と神社で隣り合わせ [狛犬・寺社(青森県)]
弘前市銅屋町、弘前八坂神社。
弘前城方面から県道28号を南下するとほどなくして建っています。
参道入口の標柱を見ても分かるとおり、お寺の参道と兼ねているような雰囲気で。
境内の隣地は真言宗の最勝院というお寺。
神仏習合の名残か、などと考えてしまうのが普通だろうと思うのですが、
由緒書きや神社庁の解説を見ても別個の独立した社寺の模様ですね。
境内入口の由緒書きは以下の通り。
もとは大円寺牛頭天王を祀るお寺さんだったようで、
明治4年に八坂神社に改称した模様です。
ちなみに最勝院のほうは公式HPがあるので興味のある方はそちらをば。
にしても、この仁王門と鳥居が居並ぶ風景は独特な雰囲気があります。
神社のほうの参道は途中で90度折れ曲がり、
二の鳥居を抜けて拝殿へと向かいます。
本殿。
狛犬は拝殿前に一対。
昭和11年(1936)7月建立。
石工:亀岡節三。
出雲ばりの構えポーズ。
しかもブロンズ、しかも肥満。
でもブロンズの構え型は珍しいですね。
まあ今回は狛犬よりも、やはりこちらのシーンのほうが目を惹きますよね。
(撮影日:2013年8月14日)
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弘前城方面から県道28号を南下するとほどなくして建っています。
参道入口の標柱を見ても分かるとおり、お寺の参道と兼ねているような雰囲気で。
境内の隣地は真言宗の最勝院というお寺。
神仏習合の名残か、などと考えてしまうのが普通だろうと思うのですが、
由緒書きや神社庁の解説を見ても別個の独立した社寺の模様ですね。
境内入口の由緒書きは以下の通り。
もとは大円寺牛頭天王を祀るお寺さんだったようで、
明治4年に八坂神社に改称した模様です。
ちなみに最勝院のほうは公式HPがあるので興味のある方はそちらをば。
にしても、この仁王門と鳥居が居並ぶ風景は独特な雰囲気があります。
神社のほうの参道は途中で90度折れ曲がり、
二の鳥居を抜けて拝殿へと向かいます。
本殿。
狛犬は拝殿前に一対。
昭和11年(1936)7月建立。
石工:亀岡節三。
出雲ばりの構えポーズ。
しかもブロンズ、しかも肥満。
でもブロンズの構え型は珍しいですね。
まあ今回は狛犬よりも、やはりこちらのシーンのほうが目を惹きますよね。
(撮影日:2013年8月14日)
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ウサギが一体だけ居る天満宮 [狛犬・寺社(青森県)]
弘前市西茂森の天満宮。
二つ前のエントリーの望楼屯所となっている茂森会館の西側の細い路地を入り、
北へ向かって100メートルほど行くと境内へと入ります。
ご祭神はご存知、菅原道真公。
由緒は神社庁HPによれば、
開祖は大行院栄尊という人で、慶長3年(1598)京都近衛家の要請と
津軽右京太夫為信の招きに応じて、南郡大根子村に祈願所をもうけ仮堂とし、
長永寺松峰山大行院と称し津軽の山伏を支配。
明治四年修験の廃止により、神道天満宮となり、江戸期に藩主の命により
別の場所に移した天神さまを明治4年に再び天満宮に移し祀ったということです。
(青森県神社庁HPより抜粋)
上の画像は一の鳥居。
二の鳥居。
二の鳥居の傍らに建つ社務所。
社殿に向かって右側に脇参道と鳥居。
その背後のトンネルがあって、上部は道路か鉄道敷きのようなイメージが沸きますが、
これは近世に造られた禅林街の土塁跡だそうです。
じつはこの事実、神社を後にしてから知ったので、この時は土塁だと気づかずスルー。
上に登って観察してみればよかったなぁ。
境内の様子。
そして、兎です。
昭和62年(1987)丁卯6月25日建立。
一体だけ、由来など記載がないため詳細は不明。(※本文最後に追記あり)
奉献者の名義は、
“氏子総代顧問柴田清蔵”
“国際電気(株)社長工学博士柴田昭太郎”
とありました。
現在の(株)日立国際電気ですが、氏子総代と同じ苗字ということは
昭太郎氏もこの町の出身だったのでしょうか?
ネットで調べたら半導体関連業界の著名人のようですね。
すみません、自分はまったく知らない世界です。。。
拝殿前に狛犬一対。
昭和3年(1928)2月10日建立。
シンプルな彫りですが、表情に個性が見られますね。
阿形は前歯が無くて、吽形は牙のようなものが見えます。
尾や鬣の流れる様子などは江戸の影響を受けていると思われます。
本殿と拝殿。
本殿の縁側にはなぜか恵比寿様と大黒様。
境内社の稲荷神社。
弘前城からも程近く、禅林街の入口に当たる場所に参道入口があるとはいえ、
奥まった場所にあるのでとても静かな境内を持つ神社でした。
(※)追記:
奉納された石造の兎ですが、ここ西茂森の天満宮は
卯年の津軽一代様ということで、故の兎奉納ということだそうです。
(撮影日:2013年8月14日)
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二つ前のエントリーの望楼屯所となっている茂森会館の西側の細い路地を入り、
北へ向かって100メートルほど行くと境内へと入ります。
ご祭神はご存知、菅原道真公。
由緒は神社庁HPによれば、
開祖は大行院栄尊という人で、慶長3年(1598)京都近衛家の要請と
津軽右京太夫為信の招きに応じて、南郡大根子村に祈願所をもうけ仮堂とし、
長永寺松峰山大行院と称し津軽の山伏を支配。
明治四年修験の廃止により、神道天満宮となり、江戸期に藩主の命により
別の場所に移した天神さまを明治4年に再び天満宮に移し祀ったということです。
(青森県神社庁HPより抜粋)
上の画像は一の鳥居。
二の鳥居。
二の鳥居の傍らに建つ社務所。
社殿に向かって右側に脇参道と鳥居。
その背後のトンネルがあって、上部は道路か鉄道敷きのようなイメージが沸きますが、
これは近世に造られた禅林街の土塁跡だそうです。
じつはこの事実、神社を後にしてから知ったので、この時は土塁だと気づかずスルー。
上に登って観察してみればよかったなぁ。
境内の様子。
そして、兎です。
昭和62年(1987)丁卯6月25日建立。
一体だけ、由来など記載がないため詳細は不明。(※本文最後に追記あり)
奉献者の名義は、
“氏子総代顧問柴田清蔵”
“国際電気(株)社長工学博士柴田昭太郎”
とありました。
現在の(株)日立国際電気ですが、氏子総代と同じ苗字ということは
昭太郎氏もこの町の出身だったのでしょうか?
ネットで調べたら半導体関連業界の著名人のようですね。
すみません、自分はまったく知らない世界です。。。
拝殿前に狛犬一対。
昭和3年(1928)2月10日建立。
シンプルな彫りですが、表情に個性が見られますね。
阿形は前歯が無くて、吽形は牙のようなものが見えます。
尾や鬣の流れる様子などは江戸の影響を受けていると思われます。
本殿と拝殿。
本殿の縁側にはなぜか恵比寿様と大黒様。
境内社の稲荷神社。
弘前城からも程近く、禅林街の入口に当たる場所に参道入口があるとはいえ、
奥まった場所にあるのでとても静かな境内を持つ神社でした。
(※)追記:
奉納された石造の兎ですが、ここ西茂森の天満宮は
卯年の津軽一代様ということで、故の兎奉納ということだそうです。
(撮影日:2013年8月14日)
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弘前市、旧紺屋町消防屯所 [火の見櫓(青森県)]
弘前市紺屋町に建つ、旧消防屯所。
現所有者の弘前市のHPにある情報によれば。。。
建物自体は昭和8年頃、地元名士の寄付によって建築されました。
2階建てに見えますが、HPの資料だと木造平屋建てとなっており、延床面積約90平米。
裏側に廻ってみなかったのですが、画像資料などを見ると建物自体は
普通の寄棟の日本建築で、正面は看板建築の様式みたいですね。
屯所としては近年まで使用されていたようですが、
昭和57年に派出所は他所の交番に統合され、平成16年に屯所機能も移転してしまったことから、
平成20年に紺屋町の町会から弘前市へと寄贈されたとのこと。
現在はすでに使用されていませんが、保存修理工事を経て
平成20年に弘前市の「趣のある建物」に指定され、
期間限定ながらも一般公開されて見学できるようになっているそうです。
現地に掲示された案内板には望楼を3階と表現しています。
望楼は梯子で昇降するようになっているようなので、
1階と望楼の間にロフトのようなスペースがあるのでしょうかね。
この建物が非常にユニークなのは、
消防屯所(機械置場)としての機能のほか、警察の派出所が同居していたということ。
建物向かって左入口が派出所、向かって右が消防屯所。
消防と警察の関係って“イヌとサル”のイメージで語られることもある印象なんですが、
そうでなくても同じ建物に両者が同居するというのは珍しいですよね。
外観は一見シンメトリックにまとめているような感じでありながら、
正面の窓や凹凸(控え柱?)のレイアウトは非対称に納められています。
さらに出入口の欄間に付けられた桟のデザインも違いを見せているのがいいですね。
望楼は窓の外側に半鐘が吊るされています。
正面中央部には赤色灯がありますが、これは消防も警察も共通ですからね。
2012年から始まった一般公開は4月下旬~5月上旬。
どうやら弘前城の桜の開花時期に合わせた公開のようですね。
ネットに出ている画像などを見ると、洋の外観とは対照的に内部は和で整えられていて、
年季の入った半鐘や消防の半纏なども飾られているようです。
やはり、次の津軽再訪は桜満開の季節しかないですな。
(いつ行けるかどうか分からんけど。。。)
(撮影日:2013年8月16日)
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現所有者の弘前市のHPにある情報によれば。。。
建物自体は昭和8年頃、地元名士の寄付によって建築されました。
2階建てに見えますが、HPの資料だと木造平屋建てとなっており、延床面積約90平米。
裏側に廻ってみなかったのですが、画像資料などを見ると建物自体は
普通の寄棟の日本建築で、正面は看板建築の様式みたいですね。
屯所としては近年まで使用されていたようですが、
昭和57年に派出所は他所の交番に統合され、平成16年に屯所機能も移転してしまったことから、
平成20年に紺屋町の町会から弘前市へと寄贈されたとのこと。
現在はすでに使用されていませんが、保存修理工事を経て
平成20年に弘前市の「趣のある建物」に指定され、
期間限定ながらも一般公開されて見学できるようになっているそうです。
現地に掲示された案内板には望楼を3階と表現しています。
望楼は梯子で昇降するようになっているようなので、
1階と望楼の間にロフトのようなスペースがあるのでしょうかね。
この建物が非常にユニークなのは、
消防屯所(機械置場)としての機能のほか、警察の派出所が同居していたということ。
建物向かって左入口が派出所、向かって右が消防屯所。
消防と警察の関係って“イヌとサル”のイメージで語られることもある印象なんですが、
そうでなくても同じ建物に両者が同居するというのは珍しいですよね。
外観は一見シンメトリックにまとめているような感じでありながら、
正面の窓や凹凸(控え柱?)のレイアウトは非対称に納められています。
さらに出入口の欄間に付けられた桟のデザインも違いを見せているのがいいですね。
望楼は窓の外側に半鐘が吊るされています。
正面中央部には赤色灯がありますが、これは消防も警察も共通ですからね。
2012年から始まった一般公開は4月下旬~5月上旬。
どうやら弘前城の桜の開花時期に合わせた公開のようですね。
ネットに出ている画像などを見ると、洋の外観とは対照的に内部は和で整えられていて、
年季の入った半鐘や消防の半纏なども飾られているようです。
やはり、次の津軽再訪は桜満開の季節しかないですな。
(いつ行けるかどうか分からんけど。。。)
(撮影日:2013年8月16日)
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弘前市西茂森、茂森会館の望楼。 [火の見櫓(青森県)]
さて、北東北取材記事アップもようやく弘前市に突入しました。
ったく、ようやくといった感じですな(-_-)
弘前市西茂森、茂森会館の望楼。
場所は弘前で随一の規模で寺が集まっている禅林街の入口、
枡形になっている場所に建っています。
望楼付き洋風建築で、昭和11年(1936)完成。
当初から消防屯所として建てられたのでしょう。
現在も茂森会館西地区団第一分団消防屯所として使用されています。
望楼に半鐘が付属しているのかどうかは外からはよく分かりません。
建物裏手にホース干し塔が建っているのですが、
これは火の見櫓の応用ではなさそうですね。
同屯所の画像は、なぜだかここに出したものが全部です。
枡形の由緒を書いた標柱が傍らに建っていたり、
隣地には元弘前歩兵31連隊の将校集会所として建てられた明治期建築の建物とか
いろいろあったのですが。。。
時間はあったのに、なんだか惜しいことをしました。
(撮影日:2013年8月15日)
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ったく、ようやくといった感じですな(-_-)
弘前市西茂森、茂森会館の望楼。
場所は弘前で随一の規模で寺が集まっている禅林街の入口、
枡形になっている場所に建っています。
望楼付き洋風建築で、昭和11年(1936)完成。
当初から消防屯所として建てられたのでしょう。
現在も茂森会館西地区団第一分団消防屯所として使用されています。
望楼に半鐘が付属しているのかどうかは外からはよく分かりません。
建物裏手にホース干し塔が建っているのですが、
これは火の見櫓の応用ではなさそうですね。
同屯所の画像は、なぜだかここに出したものが全部です。
枡形の由緒を書いた標柱が傍らに建っていたり、
隣地には元弘前歩兵31連隊の将校集会所として建てられた明治期建築の建物とか
いろいろあったのですが。。。
時間はあったのに、なんだか惜しいことをしました。
(撮影日:2013年8月15日)
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田舎館村前田屋敷の火の見櫓 [火の見櫓(青森県)]
青森県南津軽郡田舎館村、前田屋敷の火の見櫓。
跨ぎです。
田舎館村消防団第五分団前田屋敷消防部ポンプ置場にあり、
車庫の出入り口を跨いで立っています。
デザインとしては黒石市追子野木の火の見櫓の類似型ですね。
使用直後だったのか、ホースが盛大に干されていました。
見張り台には半鐘だけでなくアンテナからスピーカーまで賑やか。
しかもよく見ると木槌が4つも見張り台の床に転がっているのが確認できます。
梯子はちゃんと地面から昇降するようになっている模様。
跨ぎが跨ぐのは小屋だったり道路だったり、このように出入り口だったりと色々。
ガニ股スタイルなのは賛否分かれますが、まあご愛嬌みたいなもんですか。
間口が大きい分、こうして正面から見ると迫力ありますね。
(撮影日:2013年8月14日)
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跨ぎです。
田舎館村消防団第五分団前田屋敷消防部ポンプ置場にあり、
車庫の出入り口を跨いで立っています。
デザインとしては黒石市追子野木の火の見櫓の類似型ですね。
使用直後だったのか、ホースが盛大に干されていました。
見張り台には半鐘だけでなくアンテナからスピーカーまで賑やか。
しかもよく見ると木槌が4つも見張り台の床に転がっているのが確認できます。
梯子はちゃんと地面から昇降するようになっている模様。
跨ぎが跨ぐのは小屋だったり道路だったり、このように出入り口だったりと色々。
ガニ股スタイルなのは賛否分かれますが、まあご愛嬌みたいなもんですか。
間口が大きい分、こうして正面から見ると迫力ありますね。
(撮影日:2013年8月14日)
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田舎館村堂野前種井の火の見櫓 [火の見櫓(青森県)]
青森県南津軽郡田舎館村、堂野前種井の火の見櫓。
県道38号線沿いで、石造物やお堂などと並んで立っています。
けっこうスリムなプロポーション。
踊り場はないですが、梯子の途中に半鐘が吊るされており、
見張り台にも半鐘が装備されていますね。
その半鐘はけっこうキレイな状態を保っているのですが、
屋根をはじめ櫓そのものはくたびれ感が出始めている模様。
とくに見張り台はよく見ると鉄板の床にあちこちに開いており、
下手をすると踏み抜いて落下、、、なんてことにもなりかねないかも。
脚部はトラスではなくリング式ターンバックルのブレースがそのまま採用されています。
やはりどっしりとした感じではないので、見た感じでも安定感に欠ける印象です。
(撮影日:2013年8月14日)
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県道38号線沿いで、石造物やお堂などと並んで立っています。
けっこうスリムなプロポーション。
踊り場はないですが、梯子の途中に半鐘が吊るされており、
見張り台にも半鐘が装備されていますね。
その半鐘はけっこうキレイな状態を保っているのですが、
屋根をはじめ櫓そのものはくたびれ感が出始めている模様。
とくに見張り台はよく見ると鉄板の床にあちこちに開いており、
下手をすると踏み抜いて落下、、、なんてことにもなりかねないかも。
脚部はトラスではなくリング式ターンバックルのブレースがそのまま採用されています。
やはりどっしりとした感じではないので、見た感じでも安定感に欠ける印象です。
(撮影日:2013年8月14日)
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田舎館村東光寺村井の火の見櫓パート2 [火の見櫓(青森県)]
青森県南津軽郡田舎館村東光寺村井の火の見櫓。
2つ前のエントリーも東光寺村井の火の見櫓は採り上げましたが、
それとさほど離れていない場所に立っているのがこちら。
東光寺会館の傍らに立っている火の見櫓は、
背丈こそ中規模クラスになると思うのですが、
屋根から脚部にかけて、がっしりどっしりしている印象があります。
屋根はまだしっかりと生きている状態ですし、
半鐘も見張り台と踊り場の双方に備わっています。
塗装も多少色褪せているとはいえ、錆が出ているという感じはありません。
脚部も取らすがしっかり付け根まで伸び、
ベースコンクリートはこれでもか、というくらい分厚く仕上げられています。
背丈が低いのでちょっと損をしている感じですが、
ドスンと落ち着いた感じで立っている様子が印象的な櫓でした。
(撮影日:2013年8月14日)
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2つ前のエントリーも東光寺村井の火の見櫓は採り上げましたが、
それとさほど離れていない場所に立っているのがこちら。
東光寺会館の傍らに立っている火の見櫓は、
背丈こそ中規模クラスになると思うのですが、
屋根から脚部にかけて、がっしりどっしりしている印象があります。
屋根はまだしっかりと生きている状態ですし、
半鐘も見張り台と踊り場の双方に備わっています。
塗装も多少色褪せているとはいえ、錆が出ているという感じはありません。
脚部も取らすがしっかり付け根まで伸び、
ベースコンクリートはこれでもか、というくらい分厚く仕上げられています。
背丈が低いのでちょっと損をしている感じですが、
ドスンと落ち着いた感じで立っている様子が印象的な櫓でした。
(撮影日:2013年8月14日)
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